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「現代に生きる日本神話」"Japanese Myth in Contemporary Japanese Society"
1、 現代の漫画や映画に見る日本神話のモチーフ
ちょうど今、日本では「奇談」という不思議なストーリーの映画が封切され、先月の11月19日から全国ロードショー公開されている。その原作は、諸星大二郎の漫画シリーズ『妖怪ハンター』の中の1話「生命の木」である。
この『妖怪ハンター』全体の主人公は、稗田礼二郎と言う名前であるが、彼は8世紀初頭に日本最古の神話・歴史書の『古事記』を口述した稗田阿礼の子孫とされる。彼は「妖怪は闇の世界で人間とは異なる進化を遂げた生物である」という学説を発表して学会を追放された異端の考古学者である。
映画のもう一人の主人公は、7歳の時に神隠しとなった体験を持つ大学院生、民俗学を専攻する23歳の女性・佐伯里美である。小学1年生の夏休み、東北の隠れキリシタンの里として知られる村に住む親戚の家に預けられていた里美は、一緒に遊んでいた少年と共に神隠しに遭う不思議な体験をするが、いつしかその前後の記憶を失ってしまった。だが最近、巨大な穴と幼い少年が現れる不思議な夢を繰り返し見るようになった。この7歳当時の記憶の断片である不思議な夢に誘われるように、里美はその村へと向かう。
その村は江戸時代に徳川幕府の弾圧から逃れたキリスト教徒が作った隠れ里であるが、その村の一部にある「はなれ」という集落の住人たちは村ができる遥か以前から全員がキリシタンだった。「はなれ」の住民はみな7歳程度の知能しかなく、そのうえ不死だと噂されていた。村の住人たちは「はなれ」を村八分にし、村の恥部として外部に知られることを嫌った。
佐伯里美はこの村で、聖書異伝『世界開始の科の御伝え』を調べるためにやってきていた稗田礼二郎と出会い、かつて隠れキリシタンの大量処刑が行われた山で「はなれ」の住人の一人が磔の刑に処せられたような遺体となって発見されたことを知る。
こうして映画「奇談」は、旧約聖書の異伝承と日本の民間信仰とが混交する独特の神話伝承世界の不思議な出来事を描いてゆく。聖書異伝『世界開始の科の御伝え』によると、神は「あだん(アダム)」とエヴァの他に「じゅすへる(ルシフェル)」という人をつくった。そして楽園の中央の日本の木の実を食べることを禁じた。「あだん」はしかし「じゅすへる」にだまされ、そそのかされて「まさんの木(善悪を知る木)」の実を採って食べ、楽園を追放された。一方、「じゅすへる」は「いのちの木」のみを採って食べ、その子孫は不死身となったが、神の呪いを受けて一定の年齢になると地獄に落ち、キリストの救済を待ち望んでいる。その「じゅるへる」の子孫が日本の東方の地に至り、「はなれ」という集落に住んで「世界開始の科(とが)の御伝え」という独自の「きりんと(キリスト)」再臨信仰を信じているというのである。
このような設定の漫画や映画の中に、聖書異伝と「7歳までは神の内」という日本人の神観念とが融合して物語が作られているところが興味深い。日本の民俗社会では、特に子供と老人は神に近い存在と考えられ、「翁」や「童」は神の表象として頻繁に登場する。『古事記』という8世紀初頭に記された日本最古の神話・歴史書とともに、こうした「翁」や「童」の神話表象がこの漫画や映画の物語的想像力源泉になっているのだ。
もう一つ、例を挙げよう。諸星大二郎とよく似たジャンルの漫画家星野之宣(ゆきのぶ)は、『ヤマタイカ』『宗像教授伝奇考』『神南火(かんなび)』などの作品の中で、日本神話を題材にして、日本の基層信仰を掘り起こすことに成功している。『ヤマタイカ』は日本列島の最古の文化である縄文文化の意味世界を再発見し、その意味と意義を現代に蘇らせようとする在野の考古学者と霊能力を持つ女性シャーマンたちの物語である。また、『宗像教授伝奇考』の主人公宗像伝奇(むなかたただくす)は、九州の宗像神社の系列の神社の宮司の息子であるが、今は大学で民俗学の教授をしながら、神話と各地の民俗とを結びつけ解明する仕事をしている。その研究の過程でさまざまな不思議な出来事や事件に遭遇し、刑事か探偵のように解決を図っていく姿が描かれる。また、『神南火』は「神の魂の火」あるいは「神聖な山」という意味を持つタイトルの漫画で、やはり古代の祭祀一族の血を引く女性ジャーナリストが、各地に伝わる神話・民俗を研究解明していくとともに、事件を解決していく物語である。
諸星大二郎も星野之宣も二人とも、日本漫画界の巨人手塚治を記念する手塚賞を受賞しているが、この手塚治自身が日本神話を題材にして、永遠の生命を持つ『火の鳥』を描いている。その『火の鳥』全巻に狂言回しの役で登場してくるのが、これまた日本神話の中に先住土着の古い神として描かれる猿田彦である。後で詳しく見ていくが、実は、わたしはこのサルタヒコを祀る神社の祭りのコーディネイトをこの10年行なってきた。
他にも人気漫画家・美内すずえの『アマテラス』など、神話を題材にした漫画はたくさんある。特に最近は漫画、映画、ゲームソフトなどで、日本神話や世界の神話は重要な物語的素材となっている。2003年に初めてアニメーションでアカデミー賞を受賞した宮崎駿監督作品『千と千尋の神隠し』や『となりのトロロ』も、神話や民俗伝承が重要な素材となっている。
2、日本の神話と古代文献
さて、ここで日本神話が描かれている古代の文献について紹介してみよう。
日本最古の書は、712年に編纂された『古事記』である。そこには天地開闢から、日本の島々が夫婦の神の性行為によって生まれたこと、天地や海やこの島々で活躍する神々の話、また日本を統治する天皇家の祖先神の話など、多様な神話伝承が記されている。
この『古事記』は「古い事柄の記録」の意味で、神話や英雄伝説の部分に力点が置かれていて、神話や伝説を記した部分と、歴代天皇の事蹟を記した部分から成る伝承の書である。その記録は、先に出た稗田阿礼が口伝えに伝承してきたものを、太安万侶が聞いて記録することで成立した。
全体は、上巻・中巻・下巻に分れ、最後は推古天皇の記録で終わっている。この書が、「推古」、すなわち「古代を推し測る」という意味の称号を持つ女帝の記述で終わっていることは象徴的である。古い伝承に重きが置かれていることをそれは示している。
それに対して、720年に編纂された『日本書紀』は、日本の公式文書の筆頭に掲げられる書物で、六国史の第一の書である。それは、当時の中国(唐)や朝鮮半島(新羅・百済・高句麗)などの東アジア情勢を意識して書かれた日本最初の公式文書である。
そのため、「日本」という国の特性を強く意識して書かれた書物で、日本の成り立ちとその当時の現代史とのつながりに焦点が当てられている。
全体は三十巻に分れ、特に巻第一と巻第二は「神代 上・下」とされ、神話伝承が記録されている。そこには、『古事記』とはまったく異なる伝承が、「一書に曰く」という形式でたくさん載せられている。最後は女帝・持統天皇の詳しい記録で終わっているが、それが「持統」の称号を持っていることは象徴的である。なぜならそれは、神代から現代までのつながり、すなわち「(保)持・(伝)統」に照準が合わされているからである。
『古事記』と『日本書紀』の決定的違いの一つの例として、冒頭に記載された宇宙開闢神話における最初に現われ出る神々が異なる点が挙げられる。『古事記』では、冒頭神は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」という名前の神であるのに対して、『日本書紀』では、「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」となっている。天の中心の神と、国の中心の神という神観の違いがはっきりと現れているのである。
その他の神話伝承が記された古代文献として、8世紀の奈良時代には、全国各地の歴史地理書として、各国(ほぼ現在の都道府県に当たる)の『風土記』が編纂された。しかし、現在残っている『風土記』は、『常陸風土記』『播磨風土記』『出雲風土記』『肥前風土記』『豊後風土記』の五つだけである。
『風土記』とは、それぞれの土地の「風土」、すなわち、神話・伝説、風習・習俗、自然、風物、地理、地名、産物、歴史などについて書かれた古代の郷土史的書物である。興味深いのは、現存する五つの『風土記』が、『古事記』や『日本書紀』とはまた異なる独自の土地の伝承を多く収めていて、古代史の第一級の資料となっている点だ。
特に、大和朝廷に匹敵する勢力を誇っていたと思われる出雲地方について記した『出雲国風土記』には、『古事記』や『日本書紀』の神話と異なる神話伝承が数多く記載されていて、興味深い。このことは、日本列島にはさまざまな神話伝承があって、各地の各氏族に伝承されて生き生きと息づいていたことをはっきりと示すものである。
一つ例を挙げてみよう。
『出雲国風土記』には、記紀神話に見られる、イザナギ・イザナミによる性行為に基づく「国生み神話」とまったく違う「国引き神話」が記載されている。それによると、出雲の国は朝鮮半島の方から出雲の神がが「国来(くにこ)(国来い)、国来(くにこ)(国来い)」と引き寄せたとされる。
『古事記』や『日本書紀』が大和朝廷の中心部でまとめられ、天皇を中心にしているのに対して、『風土記』は各地方でまとめられたので、それぞれの土地と編纂者の観点や意図によって違いが出てくるのである。
奈良時代には、もう一つ、大伴家持が撰者とされる『万葉集』(759年頃)がまとめらる。全20巻、約4500首の歌は、すべて万葉仮名と呼ばれる独特の漢字で書かれ、古代日本人の人生観や恋愛感情や季節感を知る上でたいへん貴重な文献である。世界中を見渡しても、これほど多くの詩人=歌人の歌を記した古代文献はない。古代において、日本は“国民総詩人の国”だったといえよう。『万葉集』は、歌の内容からすると恋愛の歌と死者を悼む歌、自然を詠む歌が多い。
奈良時代にまとめられた『古事記』や『日本書紀』と性質を異にする神話伝承をまとめた書物が、9世紀以降、平安時代に記された『古語拾遺』と『先代旧事本紀』である。
『古語拾遺』(807年)は、古代祭祀一族の斎部氏に伝わる伝承をその子孫の斎部広成が編纂したものである。その忌部氏の子孫が先に触れた『神南火』の主人公忌部神奈である。
それに対して、聖徳太子の作と仮託された『先代旧事本紀』は、別の古代豪族である物部氏の祖神饒速日尊(にぎはやひのみこと)について独自の記録が多く記されている。
このように、日本列島には豊富な神話伝承が残されていて、それが8世紀以降10世紀にかけて、少なくとも4種の神話を主な伝承記録とする文献が書かれたのである。
3、日本神話と日本神道
さて次に、そうした神話に基づいて日本各地に神社や祭りとして具体的に表現された日本の「神道」とは何かについて考えておきたい。簡潔に定義すれば、「日本の神道とは、ユーラシア大陸の東の果てにある日本列島の風土の中で自然発生的に生れ、外来思想や外来文化の影響を受けながら歴史的に形成され、洗練されてきた日本列島民の信仰と生活の作法・流儀である。それは日本語で『カミ・神』と呼ばれてきた聖なる存在に対する畏怖・畏敬の念に基づく祈りと祭りの信仰体系であり、生活体系で、日本人が宇宙・万物の偉大さ・大いさ・尊厳を感じ取り、それに感応してきた道の伝統である」と答えることができよう。日本神道とは、日本人の宇宙の感じ方であり、万物への祈り方なのだ。
神道は日本を離れて存在しない。神道が具体的に古代から現代に続く形態・形式・内容を持つに至ったのは、日本という風土と歴史があったからである。
日本は四方を海に囲まれた島嶼列島である。今からおよそ1万2000年程前に現在のような日本列島が出来上がった。氷河期が終わり、北極圏の氷床が溶け出し、水位が上がると、それまでユーラシア大陸とつながっていた半島は、完全に四方を海に囲まれた島嶼となり、列島となった。
そして、世界でもっとも古い土器文化といわれる縄文時代が始まり、独自の列島の風土と文化の形成が始まった。この日本の風土の特徴は、まず第1に、四方を海に囲まれた島々であるということ。つまり、島国という風土であるということ。第2に、その島々は火山列島であったということ。太平洋プレート、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピンプレートの4つのプレートがぶつかる地質学的にも珍しい地帯にある日本列島は、そのために火山の噴火活動が活発で、地震も多く、列島自体が揺らぎの中にある。第3に、火山活動やプレートのぶつかり合いによる褶曲運動のため、急峻な山々が多く、山岳や森林が国土の70%を占め、それゆえに清流の流れる河川や沢や沼地が多く、そのことがやがて数多くの水の信仰と独自の水の文化を生み出していった。
このように、日本は海の水と川の水の両方の豊富な水に取り囲まれた水の列島だった。そのために、のちに大陸から農耕文明がもたらされた時、日本の名称を「豊葦原の瑞穂 (水穂)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国という意味)と称えて呼ぶようになった。ちなみに、『古事記』には、日本の古い呼び名として、「大八島国」(大きな八つの島のある国)と「豊葦原の瑞穂の国」という2つの呼び名が出てくる。それに対して、『日本書紀』は、呼び名を「日の本」としての「日本」という名で統一している。
こうして、8世紀には「日の本・日本」と呼ばれるようになるが、その太陽の国「日の本」は古く火山の国「火の国」であった。そのことは、日本の西南部の島・九州の国々を古くは「ヒの国」と呼んだことにもその痕跡をとどめている。
こうしてみると、日本は水の国であり、火の国また日の国であったといえる。これらの島々や国々の呼び方の中に日本の風土的特質があますところなく表現されているのである。日本神道の一つの伝統的考え方の中に、「火と水」と書いて「カミ」(神)と読ませる伝統があるが、火と水の自然の生成力の中に神聖な力の顕現を見たことは神道の重要な伝統となっている。
第4に、日本の森林相には大きく北方系のブナ・ナラ林帯と南方系の照葉樹林帯の2つがあるが、どちらも保水能力に優れた森林で、その豊かな養分を含んだ水と土の成分が海の幸、山の幸、川の幸、野の幸をもたらした。つまり、豊富な植生と食べ物を持つ生態系をもたらした。
以上の4つの特質を日本の風土的特質としてあげることができる。
4、神道の本質
それでは、次に、日本人の信仰、神道の信仰の核心は何か、考えてみたい。それは一言で言うと、「カミ」(神)という言葉に表される神聖な存在に対する畏怖・畏敬の信仰であるといえる。神々を畏れ敬う心、それが神道の信仰である。
「神道」とは「神の道」と漢字で書く。古くは、それを「神ながらの道」と読んだ。「神ながらの道」とは「神々の御心のままに」あるいは「神々の御業のままに」という意味である。それは、「神からの道」すなわち「神々から子孫への恵みと生成発展の道」と、「神への道」すなわち「人々が神々へ感謝と信仰を捧げる祈りと祭りの道」との二つのベクトル、方向性を含んでいる。その両方の道が交差し、交わるとことに「神との道」としての「神道」があるのだ。
神道には『古事記』や『日本書紀』などの神話や歴史が記された重要文献はあるが、いわゆる“教典”はない。『古事記』や『日本書紀』などの神話は教えや規範を伝える書ではなく、神々や祖先のいとなみを道として伝える伝承と歴史の書である。
このように、神道は“教えの宗教”ではなく、「祭り」の業を踏み行う道として、先祖代代伝えられてきた伝承文化である。神道は「神教」ではなく、「KAMI―WAY」、すなわち「神の道」なのである。
そこで、日本神話を記した『古事記』や『日本書紀』は、神道の“教典”ではなく、“古代人の思考や生活”を伝える先祖伝来の物語の記録である。神話を伝承の書として敬意を払う神道の根本精神は、“古い伝統的生き方”を大切にする精神ということである。それは、古人の伝承文化と知恵に最大限の敬意を払う道である。
「神の道」としての神道は、「神<から>の道」と「神<へ>の道」という二つの対照的な道から成っています。往路が「神からの道」で、復路が「神への道」である。
「神からの道」とは、森羅万象を生成せしめる神々の力が伸びてくる道で、それは神々からの大いなるプレゼント、すなわち贈与と恩恵として伝えられてきたものである。
それに対して、その「神からの道=贈与」に対し、その贈与と恩恵に感謝し、子孫の踏み行う務めとして、汗水流して働いて得た生産物をお供えし、捧げ、祈り、祭り、讃える道が、「神への道」になる。
この二つの道、すなわち「神からの道」と「神への道」の交わり、融合するところに、「神との道」としての真の調和ある祭り=真釣りが実現する。それこそが、天然自然の叡智とメッセージに耳を傾ける伝承文化の継承の道としての「神の道」、“神道”なのである。
神道では、神々は複数いて、その総称を「八百万の神」と言う。八百万とは文字通り、800万の神々が存在するということではなく、それほどたくさんの、ほとんど無数と言っていいほど多くの神々がいるという意味である。
その八百万の神々の中には、水の神や日の神や風の神、月の神、雷の神などの自然神もいれば、先祖の神々、すなわち祖先神や氏神もいれば、その土地の神、産土の神もいれば、熊や猪や鹿などの動物神も、天皇や武士・大名や偉人や名も無き死者などの人間神もいる。これは、宗教学や哲学や神学の用語ではアニミズムや汎神論とも言われるが、万物に霊宿り、万象に神の働きを見てとる感覚と信仰と思想があるということだ。
たとえば、6世紀初頭に日本に伝来してきた仏教は、このような汎神論的な神道の影響もあって、のちに「山川草木悉皆成仏」とか「草木国土悉皆成仏」とかという仏陀観を掲げるようになったた。山川草木や国土に至るまで皆ことごとく仏になると言うのだから、それは「すべてが神であり、仏である」というのもほとんど同じ意味である。
数年前に亡くなったカトリックの信仰を持つ日本の作家・遠藤周作氏は遺作『深い河』の中で、修道士の主人公の青年・大津に「神とは人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」と言わせている。しかしそれは、修道院のヨーロッパ人の先輩神父に「それは汎神論的な考えかたじゃないか」と徹底的に批判される。しかし、大津はその神観を変えることができない。それは彼の感性の奥深くからにじみ出てくる神のリアリティだったからである。ここにおいては、神道の神と仏教の仏とキリスト教の神の区別はさほど大きくはない。それは万物を包み込む「大きな命」ととらえられている。
この「いのち(命)」とは「息=生き」ている「霊=血」という意味である。「ちはやぶる神」という古い言葉があるように、「チ」は神性や霊性から身体性や物質性までを貫き、動かす力と命の源泉だった。
とすれば、神とは万物を万物たらしめ、それに命を吹き込む力の源、生命力と創造性の根源とその諸相を指す言葉である。『古事記』の冒頭部には宇宙開闢神話が語られているが、神々の中で2番目と3番目の神の名に「むすび」(産巣日、産霊)という語がつけられている。これは万物の生成力や自然成長力を表した言葉である。つまり、宇宙や自然の生成力・創造力に対する畏怖・畏敬の念や信仰が「むすびの神々」の神話や信仰となって伝わっているのである。
その自然の生成力を寿ぎ称え、感謝し、喜び合って、神々と人々が一緒になって交わり遊ぶところに神道の祭りがある。「むすび」にも自然の生成力と結合の2つの意味があり、それは多産・豊穣を称える言葉でもあった。神道の祭りは季節ごとに自然の恵みを祈り感謝する祭りであり、神々と祭りは人々の日々の生活に直結していた。
このように、神道の神とは、命の根源、存在の根拠、万物を万物たらしめる力とそのあらわれだといえる。
5、神道と仏教との関係
日本人の宗教や信仰という時、多くの人は仏教のことを思い浮かべる。 確かに奈良や京都には、法隆寺や東大寺や比叡山延暦寺を始め、世界遺産にも指定されているたくさんの仏教寺院があり、それは日本を代表する文化遺産とも考えられている。日本にはお寺も仏像もたくさんのものがあるが、その仏教が中国や朝鮮半島から伝来してくる前から「神」と呼ばれる聖なる存在に対する信仰があったのだ。そしてそれは、素朴ではあったが、敬虔な日々の祈りや、季節ごとの祭りとして伝えられてきた。
この神信仰、すなわち神道は、仏教のような教えの宗教や哲学ではなく、日本列島に根付いてきた神祈りと神祭りの伝承文化だった。それは神話と儀礼と日々の暮らしに溶け込んだ祈りによって支えられ、伝えられてきた先祖伝来の祈りの道だったのである。
明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。「この大気そのものの中に何かが在る――うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる――これが神道の感覚というものだろうか」と。
空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」という。そして続けて、ハーンは神道には教祖も教団も教義も教典も仏教のような大哲学も大文学もないが、まさにそのないことによって西洋思想の侵略にも屈することのない独自の文化を保持しつづけたのだと述べている。
キリスト教も仏教も偉大な神学・哲学・文学を生み出した。しかし神道にはそのような偉大な神学も哲学はない。けれども、そのないことがいろいろなものを包含し、包み込み、育み、変容させる母胎や触媒のような役目を果たしたのである。
神道は、世界宗教あるいは普遍宗教である仏教ともキリスト教ともまったく違う日本人の歴史と文化の中で発生してきた民族宗教である。神道は神々として畏れ崇められてきた存在を畏怖・畏敬する祈りと祭りの道であるが、仏教は悟りを開いて仏陀になる信仰と実践の体系である。その神道と仏教の原理的違いを次のような3つの対比によって浮かび上がらせることができる。
第1に、神は在るものであるのに対して、仏は成るものという違い。つまり、神は存在そのものの威力であるのに対して、仏は人間が悟りを開いて成ったものであるという違い。第2に、神は来るものであるのに対して、仏は往くものという違い。神は人間の祈りや祭りに感応してその場に立ち現われて来るものであるのに対して、仏は迷いと苦悩の俗世間すなわち此岸を離れて、悟りの世界である彼岸へ往くものであるという違い。第3に、神は立つものであるのに対して、仏は坐るものという違い。日本語で神々を数える数詞は「柱」と言いますが、仏を数える数詞は「座」と言います。つまり、神々は柱のように立ちあらわれるものであるのに対して、仏は悟りを開くために坐禅をし瞑想をして坐るものであるという違い。
このような原理的違いを持つ神と仏が、また神道と仏教が、日本では神仏習合という宗教複合、宗教融合をとげた。どうしてそのようなことが可能になったのか。それは、神も仏も共に自然の中に、また万物の中に神性や霊性や仏性を持って存在しているという自然認識や存在認識が生れたからである。神と仏を共に存在せしめる何ものかの存在性と力を神道も仏教も共に認めることができたからだ。そしてそれが、多様な姿・形で現われ出ることに対する共通の感覚と認識を持ちえたからである。
このような、対照的なほどの違いを持つ神と仏、あるいは神道と仏教が、この国では共存共栄し、「神仏習合」という融合的な文化を作ってきた。仏は威力のある隣の国の新しい神「他神・蕃神」として受け入れられ、やがて「八百万の神」の伝承文化の中に溶け込んでいった。そしてこの融合を促進したのは日本の風土・自然であった。
「神仏習合」は、縄文時代から続く長い長い八百万の神々の「神神習合」の一分枝なのである。こうして、わが国の多くの家庭では、神棚と仏壇が仲良く同居し、人は死んだら神にも仏にもなって祀られることになった。
6、猿田彦大神の謎
最後に、サルタヒコの神について紹介しよう。サルタヒコの特徴を挙げてみる。
まず第1に、「大神」の尊称を与えられている唯一の先住土着の神である。
第2に、日本神話の中でこのサルタヒコの神だけが実に細かく具体的にその容貌が描かれている。この神は天の岐かれ道にいて、鼻の長さが1メートル半、背の高さが2メートル半、そして口の端が赤く光り、眼も三種の神器の一つである神聖な八(や)咫鏡(たのかがみ)のように明く照り輝いていると記されている。
第3に、この先住の神は、新しく天から降りてきた天皇家の祖先神を道案内した。とすれば、サルタヒコの神は新しい文化や文明を取り入れる進取の気風を持つ改革者であったのだろうか。この時の道案内が、大和朝廷の成立になった。ということは、サルタヒコの神は大和朝廷の陰の立役者とも、古代日本国家統一の功労者ともいえる。
第4に、サルタヒコは天皇家系統の女神アメノウズメと結婚し、宮中の儀礼を司るサルメという一族の祖ともなった。『古事記』の中で、女神アメノウズメは二度、自身の女陰(ほと)を露わにしている。一度は、天の岩戸にさし籠った天照大神を呼び出す神事において、神懸り状態になって踊りを踊った時。もう一度は、天の岐かれ道に立って、道を塞いでいたサルタヒコの神を屈服させた時。この二度、「ホト」を露わにした。このサルタヒコの神とアメノウズメのミコトが結ばれ、その子孫が代々「猿女」を名乗って宮中の鎮魂儀礼や神楽を執り行うことになった。また、サルタヒコとウズメは、道祖神として一対の夫婦神の姿で祀られている。道祖神は陰陽石、すなわち男根と女陰の石像として象られることがある。
第5に、サルタヒコは最後にはヒラブ貝に挟まれて海に没していきながら、アワタツミタマ、ツブタツミタマ、ソコドクミタマの三魂に変じたと『古事記』に記されている。サルタヒコの神は海から生まれて海に還っていく、回帰する海の神かもしれない。だからこそのちに、塩土翁、つまり、「潮つ道」の知恵と技術を持つ翁神とも習合していくことになったのである。
第6に、サルタヒコの神の啓示により、合気道の改組植芝盛平は「合気道」を編み出した。植芝守平はいつも自分は「神の道をひらく役目」とか、「つなぎの役目」とか、「猿田彦の役目」と述べていたという。植芝によれば、「合気」とは「気が合うこと、調和」であり、「気」とは「神の息吹、神の命の動いたこと」をいう。そして、その気の根本は、「宇宙大生命の心のひびき」であり、その「ひびきが合すれば合気」である。猿田彦大神が『古事記』や『日本書紀』に、天つ神と国つ神との結びの役目を果たした事蹟が記されていることを考えてゆけば、それが天の気と地の気とを「合気」合体させる道でもあったことに思い至る。
このように考えてみると、サルタヒコ伝承の発信している神話世界は、生と死、天と地、海と山、男性性と女性性といった両極性を含み、たいへん多義的であり、象徴的であり、かつまた政治的でもあり、宇宙論的でもあるといった複雑さに満ちた物語世界である。そのサルタヒコが21世紀にどのようなメッセージをたずさえてよみがえるのか。サルタヒコの旅はいまだ終わってはいない。
先に触れたように、日本の漫画の神様・手塚治もライフワーク『火の鳥』の中でサルタヒコを毎回登場させているが、星野之宣の漫画「サルメの舞」はそのサルタヒコとウズメの出会いとそのはたらをテーマにした作品である。
わたしたちは、天皇家の祖先神である伊勢神宮のすぐ近くにある猿田彦神社で1996年以来毎年、シンポジウムや祭りを行なっている。その模様をDVDで少し紹介して「現代に生きる日本神話」と題する私の発表を終りたい。
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