■近代産業遺産アート再生プロジェクトの変遷
京都造形芸術大学紀要(GENESIS) 第13号(2009年10月発行)より
関本徹生
単なる個人的な欲求から端を発した「近代産業遺産アート再生プロジェクト」は十年ほど前からスタートし、本学に於いては二〇〇五年からの展開となった。
前口上
近代日本の産業を支え、我々の豊かな生活を潤してくれた産業の現場は、近年の経済衰退によって、その一部はもはや稼動する事もなく、主を失い廃墟化して荒れ放題といったところも少なくない。
言い換えれば、現代において負の遺産として放置されている。古代遺跡や歴史遺産としての価値も見出せず、たかだか数十年の間で廃棄されたのも同然の建物(ホテル、学校、旅館、遊戯施設、工場、造船場、倉庫等)、コンクリート構造物(橋脚、外壁、エントツ等)、銅山、炭鉱、採石場、減反政策と働き手のいなくなった田、畑、山林等が無言のまま横たわっている。
不動産以外でも、家電を代表とする産業廃棄物、風化されてしまった記憶(火災、津波、地震、伝説、伝承、歴史、市町村合併等により名前のなくなった町、村、路地裏等)、数えあげればキリがないぐらいに我々の周辺には社会的な損失を象徴するものとして「近代産業遺産」は存在している。
また、昨年からのアメリカに発した世界的な金融危機に伴う国内景気悪化は、まず"派遣切り"を誘発し、減産のために工場の停止・廃止がよりいっそう広がっている。大手企業だけでなく、下請けの中小企業、零細企業の正社員やパート、アルバイトにもリストラは及んでいる。"派遣切り"の対策も急がれるが、彼等は、必要な時に雇用されるという一定期間の雇用契約が前提で、誰よりも派遣社員自身が自覚している事も事実である。大事なのは、ものづくりの技術を長年に渡って習得した町の中小企業や零細企業の工員たちである。
例えば、1本の優れたネジはあらゆる製品づくりに欠かせないが、この工場が廃業していれば、そのネジすら無くなってしまうという事態が起こる。工場や機械があり、休業した仕事を再開する時に働き手は集まるかもしれないが、熟練の工員はすぐには育たない。ものづくりは、オートメーション化で育つものでもなく、職人となるほどの匠たちは、派遣社員のようにすぐに切り捨てられるものでもない。中小企業や零細企業、さらには家内工業という単位で日本のものづくりは存在しているが、今回の不況はこの部分が見落とされがちである。廃業した工場は、国や地域から注目される正の遺産になるのではなく、評価の低い、まだ動けるものの停止した機械、さらには廃棄同然の工具、原材料等が散乱する負の遺産となる。そして落書きや不法侵入者に入られ、荒らされることでまちの死角となり、気味悪がられる空間として存在することになる。
このようにものづくりも含めて「近代産業遺産」が全国各地に点在しており、尚且つ景気悪化により、その加速度を深めている。この事実に我々は無神経で居続けられる事ができないのである。
「近代産業遺産」とその活用に対して、抜本的かつ、実務的に解答が急がれている時代に、芸術の立場からこれらを有効利用し、地域の活性化、新たな観光資源の開発など、その具体的な展開をこのプロジェクトを通して実施しているのである。
近代産業遺産とは? 近代化遺産(近代化産業遺産)との相違
近代産業遺産と近代化遺産との相違については、「近代化遺産」という言葉は文化庁が名づけたものであり、最近は経済産業省も同義語として「近代化産業遺産」を使っている。時代的には幕末、明治、大正、昭和初期に日本の近代化に貢献した建造物(構築物、工作物も含む)で産業・交通・土木に関わり、近代的手法によって造られたものである。乱暴な言い方をすると「近代化遺産(近代化産業遺産)」は他の構造物に見られない機能美を持っており、歴史的・文化的にも見ても価値のある構造物であり、地元の保存する会とか、文化財に登録しているとか、それなりに保存活用がされているのが現状である。
一方、「近代産業遺産」は、時代的には戦後の構造物等であり、経済優先に裏づけされた機能性のみを追及したものが多く、味もそっけもない構造物がその機能を失い、歴史的遺産としての価値も見出せず、無残にもその姿をさらけ出している。むしろ、こういった構造物の方が近代化遺産より、多数全国に存在している。歴史的価値を見出せる「近代化遺産(近代化産業遺産)」も「近代産業遺産」として、そのカテゴリーに捉えているが、一般的な区別として歴史的価値を見出せないものを「近代産業遺産」としている。
分類分けとしては
@建造物
廃業したホテル、旅館、遊戯施設、造船所、炭鉱、紡績工場、その他の工場、倉庫、寺、学校、病院、市場、商店街、映画館、風呂屋など。
A構造物
建物を除く、コンクリート構造物(橋脚のみ、外壁、エントツ、歩道橋ほか)、鉄道、下水道、橋、坂道、歩道、パブリックアートなど。
Bその他不動産
銅山跡、採石場跡、田、畑、河川、小川、溜池、沼、井戸、ダム、防空壕など。
C不動産以外
産業廃棄物、情景、風景、歴史、伝説、伝承、写真、フイルム、ビデオ、アニメ、音楽、名前が消えた路地、町、市、村の名前、風化された記憶(地震、津波、火災等)など。
@〜Bは主に不動産が対象であり、近代化遺産も含めて、特に@は現在、活用展開されているものもある。Cの分類がこの「近代産業遺産アート再生プロジェクト」の特長でもあるが、モノとしての動産、また人間のみがもつ抽象的なイメージも近代産業遺産として捉えている。
明治・大正・昭和を生き抜いた名もないまちの建物や、また風景、想い出、生活なども対象である。風景、想い出、生活、流行歌など無形のものは身の回りに溢れているのが当たり前という認識が記録保存の対象とならず、姿を消しているが、時代のいきいきとしたエネルギーを現代に伝えるだけのポテンシャルを存分に秘めている。日常に溢れていたが故に、歴史の生き証人たちは、全国各地で圧倒的な数がその姿を消している。
近代産業遺産と近代化産業遺産の比較(建造物)
写真1 近代産業遺産 写真2 近代化産業遺産
アート再生とは?
アート再生という概念に、対応するイメージとして外壁にペインティングを施すとか、またオブジェを設置するとか、そういった事象をアート再生と思われがちだが、そのような表面的な事ではなく、ここで言うアート再生とはアーティストの目を、芸術のフィルターをとおして、単に構造物等だけを変える事ではなく、その構造物等の今までの歴史、地域の歴史・伝承を捉え、そこにどのように還元し、点としての近代産業遺産ではなく、面として地域をも含んだ継続的に展開できるプランを創出し、ソフトを構築していく事がアート再生である。つまり近代産業遺産を【点】とするならば、芸術目線で発見した地域に住む人々の思い入れの中にある抽象的資源、歴史や伝説伝承を【線】とし、地域の人々と連携することで【面】となる流れを作りだし、その面をブラッシュアップすることで新たな地域資源・観光資源を創りだす事である。
また再生の概念はリボーンでもなく、リノベーション、リニューアルでもない、ここで使う「再生」とはリハビリテーションの概念に近い。その都度、段階ごとに必要とされる療法(アート)を促すのである。
アート(芸術)目線での発想を重要視し、建造物などは単に現状のままに残す事でもなく、新たな改築工事によりハードを伴う再生でもない。あくまでもソフトを活用しながら、その建造物なりの空間や工場の機械のフォルム、そして何よりもそこにあった産業そのものの歴史、人々の日々の営み、残像となる工員たちの働く風景、昔からのものづくりの伝承・伝統・制度などからイマジネーションする時代の変遷、そこに存在する者やモノの流通の旅、過去・現在・未来への時空の旅でもある。
要は感じるままに、おもしろい産業や観光等の出会いの場を創り出す(クリエイティブ)という事が重要であり、その土地と人々の思い入れの中にある抽象的資源(歴史・伝承・伝説・逸話・制度・信仰・古事など)を具現化する事でもある。
アート再生の掲げるテーマは「希世概念(きせい がいねん)」である。「希世概念」とは定番としての型にはまった杓子定規な考え方ではなく、[希世=世にまれな、優れたもの]であり、従来通りの取り組みでは、なんら変化を見出せない近代産業遺産やその地域に変革を起こす事を説いたテーマである。
地域活性化は約二十年前から早期に取り組んでいる地域もあり、その実施は数多くあるが、実際にどれほどの成果が得られたのか。持続性がなく、またビジネスモデルとしても希薄な内容が多く、それを他の地域に移植しても芽も出ない事例も多い。地域そのものの捉え方、そして自由な発想の切り口と行動が重要なのである。これも既成概念に縛られれば、何も成果が得られない。地域を歩かずして理論もない、五感を駆使し、さらにそこからイメージを膨らませるクリエイティブな技法を持っている事が重要なのである。
知ルコトから始まる〜「京都摩訶不思議案内LIVE」
二〇〇五年六月に「近代産業遺産アート再生計画シンポジウム」を本学・春秋座で開催され、社会により広くアピールするために歩みだした。
ここでは、シンポジウムの詳細内容については避けるが、近代産業遺産の活用がもっとも進んでいるイタリア・フランスからの事例紹介の中で、注目すべきはローマ市立 カビトリーノ美術館古代ローマ彫刻コレクション モンテマルティーニ分館 ACEAアート・センターである。このセンターは元水力発電所跡で、かつての面影を留めつつ(タービン・機械類は残している)、展示している古代彫刻群は風化や破損、あるいは一部破損している為、彫刻作品としてあまり価値のないもの、通常の博物館では展示できないものをここに持ってきているのである。
つまり、彫刻作品として価値はなくとも古代からの時間そのものが重要であり、近代(水力発電所)と古代(ローマ彫刻)をうまく取り合わせ公共事業施設としての本来的な機能も担っているのである。
旧水力発電所内に古代ローマ彫刻が並ぶ。産業遺産である機械とのコントラストが楽しめる。
写真3 写真4
このフランス・イタリアからの報告以外に京都市内に存在する近代産業遺産を四ヶ所ピックアップし、モデルケースとしてアート再生のプランを作成し、その資金確保方法等も提案した。その中に、活動拠点としていた登り窯が含まれており、市内において唯一現存する使用可能な登り窯で、百年以上の年月が経っている。昭和四十六年までは現役で使用されていたが、大気汚染防止条例により、それ以降、窯から火が消え、その機能は失っている。
プラン作成時、この窯の再生活用方法については暗中模索であったが、登り窯が存在する六原【六波羅】地域(東山区)の歴史を紐解くと、平安時代は鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、葬送地帯であり、骸骨が散乱し、骨だらけの土地であったため、「どくろがはら」と呼ばれたそうである。それが転化され、現在の「六原(ろくはら)」になったという説がある。また、西国三十三ヶ所観音霊場の第十七番礼所として古くから信仰されている六波羅蜜寺。すぐ近くにある珍皇寺の井戸は冥土と繋がっており、小野篁が夜な夜な、そこに入り、閻魔大王の秘書をやったという不思議な話もある。
まさに、この六原【六波羅】という地域は聖と魔が混在している。そして京都の『異界・魔界』でもあり、また、京都全体がそういった知られざる裏の歴史を多く隠し持っている。
登り窯の知名度を上げる事と、リピーター観光客の声を反映して、知られざる京都、封印された歴史、裏の歴史等を探り、怪奇的な話に限らず、日本人のルーツやアジアの国々との歴史的交わりを解き明かし、また歴史上の人物の人柄や存在の意味など、ロマンを語ってくれる多彩なゲストを迎え、六原【六波羅】地域、また京都全体の新たな観光魅力を探り、集客装置へ再生していく地域振興のパイロット事業として「京都摩訶不思議案内LIVE」を提案し、二〇〇五年十月から登り窯を舞台にしてスタートした。
つまり近代産業遺産が存在する地域の特性、その周辺までにおよぶ歴史などをまず知ルことから始まったのである。それを伝えるシステムとして学術研究はもちろんの事、実戦部隊としての機能も持ち合わせ「近代産業遺産アート再生学会」をこの年十二月に設立した。
登り窯の舞台
写真5
「京都摩訶不思議案内LIVE」は二〇〇六年十二月まで下記のラインアップで実施した。
※肩書きは現在のもの
第一回(十月)
『安倍晴明と陰陽道の秘密に迫る』渡辺豊和氏(建築家)と中山市朗氏(作家)との対談。
第二回(十一月)
『義経とは?』岩国久弥氏(日本文化史研究所所長)と中山市朗氏との対談。
第三回(十二月)
『室町時代の童歌・室町歌謡に迫る』茂山あきら氏(大蔵流・狂言師)と中山市朗氏との対談。
第四回(一月)
『今昔物語』茂山千之丞氏(大蔵流・狂言師)と中山市朗氏との対談。
第五回(一月)
『生命の摩訶不思議・ミジンコの都合』坂田明氏(サックス奏者)トーク&ソロライブ。
第六回(二月)
『鞍馬山と三輪山の摩訶不思議をめぐって』鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)と
中山市朗氏との対談。
第七回(三月)
『六波羅の鼓動』清水興氏(ベース)・中村岳氏(カホン)・山村誠一氏(スティールパン)トリオによるアコースティックライブ。
第八回(四月)
『能楽師が垣間見る現世と冥界の摩訶不思議』左鴻泰弘氏・田茂井廣道氏(能楽師)と関本徹生(アーティスト・京都造形芸術大学教授)との対談&ライブ。
第九回(五月)
『戦国武将三大極悪人・松永久秀の摩訶不思議』鈴木智博氏(新感覚歴史プロジェクト戦国魂主宰)と関本徹生との対談。
第十回(七月)
『現代仏教の摩訶不思議、釈迦は何を教えようとしたのか』寺前浄因氏(高台寺執事・岡林院・月真院住職)と関本徹生との対談。
第十一回(八月)
『熊野観心十界図(熊野系地獄絵)の摩訶不思議』西山克氏(関西学院大学文学部教授)瀬戸信行氏(クラリネット奏者)と関本徹生との対談&ライブ。
第十二回(九月)
『摩訶不思議の縁、縄文の心を伝える』中川平氏(地主神社宮司・世界文化遺産)と関本徹生との対談。
第十三回(十月)
『京都の地名に潜む鬼・天狗』山嵜泰正氏(京都地名研究会常任理事・世界鬼学会会員)のトーク。
第十四回(十一月)
『化粧文化から見る鬼』種田?一氏(日本の化粧文化を考える会代表・世界鬼学会会員)と関本徹生との対談。
第十五回(十二月)
『仏教から見た鬼』森本祐鳳(日蓮宗・妙音結社)と関本徹生との対談。
このように「京都摩訶不思議案内LIVE」は月一回のペースを守りながら多くのメディアに取り上げられ、地域振興の実証実験として数々の逸話を残しながら十五回のシリーズをもって終了した。
そして後に大成建設 環境・歴史基金の助成を受け「京都摩訶不思議案内LIVE」の記録としてDVD(ダイジェスト版)を発行、配布し、産業遺産を抱えている行政・企業・民間にアート再生というソフト重視の展開により、ハード優先の活用に比べ、低コストで実施できる事を示した。
ただ、近代産業遺産の抱えている問題(建築基準法・耐震構造等)は多くあり、法的な解決策も望まれるが、各地方都市が抱える地場産業の衰退と共に営業停止・休眠となった建造物・構造物(工場・倉庫・宿泊施設・映画館・商店街の空き店舗等)の多くにも活用でき、多目的な展開が可能である事も証明した。
また二〇〇六年八月には「京都摩訶不思議案内LIVE」のより発展した形で「平安京・平城京 摩訶不思議の宴」を京都(本学春秋座)・奈良(橿原文化会館)で開催した。
[京都・奈良の源流に出会うことは、忘れられた日本文化を再発見すること]をコンセプトに、荒廃する現代人の心の闇、万物の長とされる人間の作り得た文明により自然も文化も失われ、さらには人としての心を見失いつつある今こそ、歴史文化や先人たちの知恵、思想から妖怪や魔界をキーワードに紐を解く、シンポジウムを開催した。
パネリストに鏡リュウジ氏(平安女学院大学客員教授、占星術研究家、翻訳家)
切通理作氏(文化評論家、和光大学講師)
東雲騎人氏(画家)
多田克己氏(妖怪研究家、作家、イラストレーター、漫画家、グラフィックデザイナー)
田中貴子氏(甲南大学文学部教授)
内藤正敏氏(東北芸術工科大学情報デザイン学科教授)
西山 克氏(関西学院大学文学部教授、東アジア恠異学会代表)
辺見葉子氏(慶応義塾大学文学部助教授)
麿 赤兒氏(俳優、舞踏家、大駱駝艦主宰)
司会進行として鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授、宗教哲学者、神道ソングライター)を迎え、現代人に問う精神面からの「世直し」を論じた。
同時併催として、京都では茂山一門による妖怪狂言『豆腐小僧』(京極夏彦:作)を奈良では麿 赤兒・大駱駝艦による舞踏公演、また新しいアートツーリズムとして、桜井市の大神神社(三輪神社)から檜原神社、山野辺の道を辿り、卑弥呼の墓とされる箸墓(古墳)まで、案内役の鎌田東二氏が各所で解説、石笛・横笛演奏も披露し、三十名程のツアー参加者と共に深夜を歩くナイトツアーも実施した。
さらに、この年は経済産業省のサービス産業創出支援事業(観光・集客交流サービス)の調査事業の助成を受け、近代産業遺産アート再生をベースに「リニューアルステージ芸術百貨店」のコンソーシアムを構築し、リタイアメントした団塊世代とリタイアメントした近代産業遺産を結びつけ、アートの介入をもって構想し、新たな集客モデルを創出する本事業の前段階として、調査事業のフィールドワーク、アンケート調査など行い、九月には近代化産業遺産でもある関西電力京都支店のホールで研究会を開催した。
その発表は、まず椿 昇氏(コンテンポラリー・アーティスト、京都造形芸術大学教授)の「EUにおける都市再生計画紹介と、今後日本の取り組みへの提言」のテーマで講演。
概略として、『日本では近年急速にアートを使った地域振興の試みがひろがりを見せるようになった。美術館も一時見られたようなハードのみを日本各地へばらまく時期を過ぎ、ソフト面が重視される方向にある。建築自体にもコミュニケーションとエデュケーションをからめた変化が見られるようになっており、ゆっくりではあるが良い変化が見られるようになった。
しかし、目を地方都市でひんぱんに開催されるアートプロジェクトに転じると、やはり資金難に陥った行政の無責任な現状を、少ない資金で活動を依頼できるアーティストに責任転嫁しているという実情が見られる。資金が少なければアートに、資金があれば代理店にという単純な構造を見直すことなく、この現状を追認してしまえば、「アート=クオリティーが低くつまらないもの」という印象を市民全体に与えてしまうに違いない。ここで重要な事はアート関係者だけが内部の利害に目を奪われるのではなく、冷静に社会状況を分析理解し、行政や企業にきちんとした態度で臨むことが重要なのである。
アート関係者に求められる事は、経済や金融のみならず科学や思想に至る幅広い世界で起こっている事へ常に関心を払い学ぶ事や、他の世界に人脈を持ち、共同で議論し、創造する事である。アーティストは作品を作れば良いという概念の考えに固執すれば、早晩アートの世界全体が衰弱し、社会から忘れ去られてゆく。その不勉強と依存心の強さの結果が、教育現場における「美術」の排除や衰退であり、それらを外的要因に求めるのではなく、自らの不勉強に起因すると自戒して全方位的努力と働きかけを関係者は開始しなければならない。』
この講演での主なテーマは、単発でアートプロジェクトを企画したり、近代産業遺産の転用をしても、それらを持続可能な流れに導くシステム(ソフト)を創造しなければ、逆にアート全体をより一層崩壊へ導いてしまう事に気付く。よって、アートそのものを、美術や音楽という縦割りのサブジェクトではなく、人間存在を常に問いかけ、人を育てるシステムとして再定義し、斬新なシステムを開発する事を提言。
我々が必要なもの、ハードとソフトと考える事。そして魅力的な近代産業遺産(ハード)に目を奪われがちになる今に警戒心を持ち、移り気な大衆が一過性の興味で訪れるアート施設ではなく、長くそれらを運用し、リピーターとなる人材を育成するソフトの研究開発に尽力する事を願う。まずハードという二十世紀型からソフト、次にハード(再生施設)というパラダイムシフトを起こす事である。
続いて、町家再生活用として「西陣SOHOづくりProject」として奈良磐雄氏(京都造形芸術大学教授・NPO法人京都西陣町家スタジオ代表理事)発表では、西陣地域のまちづくりの概要から、『対象地域は、京都の代表的な産業である西陣織の産地として千数百年にわたり繁栄し、今出川大宮付近を中心に西陣織の各工程が専門分化し、地域内に拡がる職住一体の町となっている。京都の中でもとりわけ歴史と文化に育まれ、町家の連なる町並みなど京都らしさを今に伝えている。しかし、生活習慣の変化や産業構造の変化による地域空洞化に伴い、町家の一部がマンションや駐車場に姿を変えつつあり、地域のアイデンティティーが失われつつあるのが現状である。
京都府では、京都らしい町並みや地域のアイデンティティーを守りつつ新しい産業を誘致し地域の活性化を図るために「西陣SOHOづくりProject」をとおしてさまざまな支援活動を行っている。
西陣地域に関わり始めた時期・契機、対象地域に関わる他の団体との関係では、二〇〇〇年度、二〇〇一年度に、京都府および財団法人京都産業二十一の委託事業として京都造形芸術大学が、対象地域における新規事業可能性を探る調査研究事業を実施するなかで、京都府をとおして@Net・Home社、ベネッセコーポレーションと出会い、ともに「西陣SOHOづくりProject」に賛同してそのコンセプト実現のための中核的な組織のひとつとなることを目標に当法人が設立。
一九九九年度に設立された、芸術家の町家入居の支援を始めとする西陣地区での空き町家の貸し手・借り手の仲人役となる民間ボランティアグループ「町家倶楽部ネットワーク」とは、地域住民を対象とする人材育成事業の一部を委託する等の相互協力を行っており、今後もSOHO事業者の起業支援等に関してさらに協力を深めたいと考えている。』
この講演では町家再生活用の資金繰りや建築基準法、そして人材育成事業など、近代産業遺産を再生する際に、必ず表層に表れる問題点などを指摘している。この他に学生による発表「六波羅よもやま話」も続いた。
十月には、近代産業遺産である大阪名村造船所跡で小野 博氏(コンテンツ株式会社代表取締役)による「地域活性化に役立つ新デジタルアーカイブ・システム」の講演、パネルディスカッションでは甲斐賢治氏(NPO法人記録と表現のメディアのための組織【remo】代表理事)、小林 創氏(大阪府立大学経済学部准教授)、小野 博氏、モデレータに関本徹生で実施した。
この講演とパネルディスカッションでは、最新のデジタル映像(3D)を駆使しながらも、その発想は人間が行うアナログであり、0と1というデジタル思考法では、人間が存在する地域振興には及ばない。
まちは、そこに住む人々がそれぞれ歩んできた文化・歴史から成り立っており、脈々と継承してきた事象を分断できないからである。物事には必ず繋がりがあり、バックヤードがあるという事が若者の一部に理解できていないという指摘もあり、デジタル思考を危惧するところでもある。
同じく十月に藤井秀雪氏、種田?一氏を招き、人類が誕生するのと同時期ぐらいから存在する人形に焦点をあて、人形も近代産業遺産であるという幅広い解釈を示した。このように多くの研究会を開催し、徹底した知ル作業を行なった。
まち歩きから知ル
近代産業遺産アート再生は「京都摩訶不思議案内LIVE」というひとつの実証実験として、その理念を伝える事はできたが、それは、一方通行に終っていないか、また登り窯そのものの認知度は上がったとしても、アート再生という理念が伝わっているのか、また地域の歴史・伝説・伝承等はおぼろげながら理解したとしても、それが現在のまち・地域とどう関わってくるのか、そして、六原という地域が果たしてそれで見えてくるのか等、多くの疑問が残った。
それらをひとつひとつ解消するために、二〇〇七年四月から、登り窯を拠点にしながらも、より地域に密着し、[目に見えない地域の魅力を見出す・全ての五感を使って町を感じる]をコンセプトに、ただ話を聞くだけではなく実際に町中を散策し、その都度、違う目線でフィールドワークをするというところからスタートし、それらを踏まえて時節・伝承にまつわる成果物を制作するワークショップ等を展開、また参加者自身の五感を通して地域のより深層の魅力を見出す事を重点においた。フィールドワークの方法として、
@鳥の目線感覚(マクロ)で歩く。
Aアリの目線感覚(ミクロ)で歩く。
B右に行った現実の自分と左に行った架空(パラレル)の自分とを交差させながら歩く。
C音にひかれながら(サウンドスケープ)歩く。
D過去の町を想像しながら(タイムスリップ)歩く。
E絶滅した巨大生物に(登り窯)見立て、その生息地跡(ファンタジー)を歩く。
Fひとつのキーワードのみを意識して(パラノイア)歩く。
G役立たずのモノしか見ずに(トマソン)歩くなど。
何回か同じところを巡っても、その度におもしろい発見、体験に遭遇するが、そこに必要なのは空気、風景、音、臭い、色、触覚、そして闇(影)等、それら全てを感じようとするイマジネーションの力である。
これらフィールドワークの中から捉えた成果物としてのワークショップ・イベントを実施した。
『陶器(清水焼)で作る楽器』(五月)太田謙二氏(ピアノ調律師)
まず既成概念の訣別としてのワークショップ。藤平陶芸の提供による多数の清水焼を打楽器に弦楽器に作り変える。発想の転換で、あり得ない事があり得る事に変化する様は、見慣れたまちを見直す心構えの準備として、役立つ。
『まちの音で作る』(五月)安本義正氏(京都文教短期大学教授・学長)
音を基点にまちを観る【観世音】ワークショップ。場所や自然条件による音、動植物やモノ、人が出す音に耳を澄ますと徐々に風景へと移り変わってくる。音に対する感覚を研ぎ澄ます事によって、それぞれの感性がまちの普段見られない多様な表情が浮き彫りにさせる。音で観るまちの地図は多彩な色彩を持つ事がわかる。
『京都怪異伝説』(七月)齊藤 純氏(天理大学文学部教授)
マクロの目で観たりミクロの目で観たり、表層や深層を探るワークショップ。生活を細かく見るという事も大事だが、一方では生活だけでは解釈の出来ない伝説や伝承もある。その時にはより古い時代のイメージや世界観などを参照して解釈する。つまり伝承のまま今を見る。辻とか境だからという先入観のままだけを理解するのではなく、それらを細かく調べると同時に遠い世界とも照らし合わせて、さらに深層を探っていき、過去・現在・未来を自由に行き来するイマジネーションを鍛える。
『六波羅ナイトウォーク』(七月)
見過ごしてしまう、まちの小さな風習を再発見するワークショップ。鍾馗(しょうき)・鬼瓦・鳥居・地蔵をターゲットに見つけ出し、その存在位置から何が見えてくるのか、地図にマッピングしながら探し出す。
ふるい町並みと営みが受け継がれている六原は、人が何に畏れて、何に祈り、何に敬うのか、今も見えるカタチで次の時代に語りかけている。
『六道Deトークライブ&ナイトウォーク』加納進氏(京都の史跡を訪ねる会代表)と関本徹生の対談
『地獄絵解き』西山克氏(関西学院大学文学部教授)瀬戸信行氏(クラリネット)・横山祥子氏(バイオリン)『キャンドルワークショップ』
※上記は八月五日〜九日に展開。
六原の夏の風物詩でもある六道詣りにあわせた連動ワークショップ。六原には何気ない場所にも、生と死のドラマがある。六道詣りともなれば力のある場所として今も多くの人々を惹きつけてやまない。
また地獄絵解きは二〇〇六年から復活させた。口頭伝承は語る人が居なくなれば消滅してしまう。昔から伝承されてきた話の中に見出せる日本人としての道徳や倫理が歴史の中に埋もれつつあり、引き継がれてきた社会の規範というものが、現在のコミュニティーでは伝承されていない。目に見えないものが受け継がれ残っていくという事は何ものにも代えがたい価値であり、ある意味、地獄絵絵解きはコミュニティーを人工的に作る装置でもある。
『ミニ名庭園五十選』(九月)仲 隆裕氏(京都造形芸術大学教授・日本庭園研究センター主任研究員)
小さい世界から大きい世界を見るワークショップ。道端の雑草や苔でも、目をこらして見ると庭に見えるのでは?日本の庭園は自然の風景を写している。広大な自然の景色をある一定の範囲に縮めて写す。今回はその逆、小さい世界から大きい世界を見ようとした。普段何気なく歩いているまち、通り過ぎてしまう細い路地でも、ファインダーの向こうには別世界が存在する。自分の住むまちも新たな魅力を探し出せるはずである。
『窯のまにまに音楽らいぶ』(十月)長根あき氏・森田徹氏・ターケン氏
場所にも意思があり、その声を聞くワークショップ。場(空間)をどうにかしようではなく、場がどうしてほしいのかを考える事も重要であり、地域の場を、五感を駆使して捉える方法論でもある。
『音間空間』(十一月)藤本由紀夫氏(京都造形芸術大学教授)と関本徹生の対談
人にはそれぞれ違った音の響き方があるワークショップ。音というのは場所を特徴づける重要なファクターのひとつである。ある場所に入るだけで、音が変わる。ひとつひとつの場所で、音がひとつひとつ音の溢れる空間を作っている。空間に溢れる音を再認識する。
『笑壷』(十二月)雲水坊風之助氏(高校教諭)の落語と藤井秀雪氏(京都造形芸術大学ものづくり総合研究センター主任研究員)との対談
表情を読み解くワークショップ。人の表情、動物の表情、植物の表情、建物の表情、そしてまちの表情、元気のないまちは表情も硬い。無表情で進む日々の営み、受け取る側にも多くを求められている。
まちを徹底的に歩き(フィールドワーク)、その中から誰も見向きもしなかった、見過ごしていた資源を見つけ、それらを反映したワークショップ・イベントは地域住民を巻き込み、また大学地域連携モデル創造支援事業の助成・認定を受け行政(東山区まちづくり推進課)とも協働作業へと移行していった年でもあり、知ルことの重要さを改めて再確認したのである。
伝えル・伝えられル
同じ地域をその都度、違う目線でフィールドワークするというところから入り、地域住民もそれに加わり、自分の地域でありながら知らなかった事や見忘れていた風景や歴史、さらに伝説や逸話すらも掘り起こしていく。そして、フィールドワークに参加した人達によって、ワクワクドキドキのコンセプトが発案される。もちろんアイディアも豊富に、近代産業遺産を基軸に過去・現在・未来、または土地や地域住民そのものに残る記録、記憶も呼び起され、時には不思議な話や出来事も加わり、アート(芸術)というフィルターを通して地域全体が違った見え方をし、「こんなに魅力的なまちだったのだ!」「もっと自分のまちを愛するべきなのだ!」と、自分のまちの愛し方に気づくのである。
地域振興の主人公は地元住民であるが、その主人公は地域振興という舞台に立つ自信がない。
その自信と誇りを取り戻す手段としてまちを芸術の目線で捉え、まちの愛し方を伝える冊子【あなたのまちの愛し方】を作成した。これは一年間の成果報告書も兼ねているが、自分達のまちを見直す方法として、男女の恋愛関係に例え提案しており、多くの共感・賛同を得た。伝えルという一方通行から伝えられルという確信をも得たのである。同時に要望の強かった「京都摩訶不思議案内LIVE」などの対談集【六原新釈】も発行した。
長い間、添い遂げて来た伴侶のように、時間の経過とともに空気のように、そこにいるのがあたりまえになり、恋愛中の頃の魅力を感じていた事、また相手の事なら何でも知りたい、信じたいという恋愛感情が薄れ、夫婦(地域と地域住民)として馴れ合いになってしまい、その地域の魅力すら忘れてしまっている。再び忘れた地域の魅力を思い出させ、地域住民と共に恋愛当時の刺激的で、相手を思いやる姿勢を思い起こさせ、そしてなにより住民の自信と誇りを取り戻すキッカケづくりを行う事が大事なのである。
伝えられル・創りだす
前年度に引き続き大学地域連携モデル創造支援事業の助成・認定を受け、また新設された福武地域振興財団による地域活動・調査研究事業助成も受け、より広範囲なフィールドワーク展開と六原地域における空き家の追跡調査も行なった。
元々日本の原風景であった地域コミュニュティーが崩壊しつつある中、ワークショップ・イベントでは地域コミュニュティーの見直しと再生をテーマに創りだすという事を念頭において展開した。
『映画の夕べ〜登り窯で会いませう〜』(六月)林 海象氏(京都造形芸術大学教授・映画監督)と藤井秀雪氏との対談
おせっかいな「カミナリおやじ」がまちから消え、漠然とした虚無感や孤独感を感じ、ネットやテレビで多くの情報を持ちながらも、モノが溢れすぎていて、自分自身のアイデンテティが交錯する。人は孤独に感じると自分の内へと籠る。家族の会話もほとんどなく、ましてやお隣さんはどんな人だか知らないという現状がある。まちの人がまちの子どもを我が子のように愛せば、「ひとりぼっち」を感じる若者も少なくなる。社会の中で孤独を感じた事が原因で起こる、この国の病みの部分でもある悲しい事件などが大幅に減るかもしれない。登り窯に小さな映画館を作り、皆で楽しむ、かつて日本にもこのような風景が当たり前のようにあった事を思い起こす。
『君のゆめ、何?』(七月)中埜義三郎氏(高台寺茶道頭)・森本裕鳳氏(日蓮宗僧侶)・柏瀬 武氏(NHK京都放送局局長)・関本徹生
選ばれしかつてのハタチたちは戦後から昭和三十年代、四十年代、学園紛争などの激動の時代を生きてきて、夢の意義を問う。
コミュニケーションの希薄化が若い世代の理想・夢をあいまいな物にした一つの原因。生身の人間と接触し、会話の中で自分を見つめ、想像の幅を広げる事ができる。それが無ければ自分が何者であるか見えにくい、また想像力を成長させ辛い。小幅の想像力では既存の事柄や昔の経験の中に納まってしまう。そういう事を含めコミュニケーションをとらなくなった事が"やりたい事がわからない"に繋がっている。
イベント風景
写真6
『地獄絵解き』(八月)西山克氏・瀬戸信行氏・脇田 輝氏(バイオリン)
三年目を迎えた地獄絵解きは、もはや夏の風物詩になりつつある。冷房など無く、じっとり汗ばむ中、時折吹く風の心地良さが、クーラーに慣れすぎた我々に本当の夏の姿を思い出せてくれる。地域の住民自らが絵解きを行うようになれば、本当の復活・まちの風物詩になる。
地獄絵絵解き(西福寺)
写真7
『百八十年ぶりに復活!大燈呂 夜渡神事』
地域コミュニュティーの原風景は神社(氏子)・仏閣(檀家)・祭りから始まる。
百八十年ぶりに復活・再生させた祭り、衆人の目を驚かした大燈呂はどうやら今の青森県に伝わるねぶたの原型であるかもしれないと推論されている。これは大燈呂そのものを復活させる事ではない。
まちを形作っていた祭や伝統を復活させ、自分達のまちに、こんなにも素晴らしい祭り・行事があったのだという事を思い出し、そしてそれが地域住民の自信と誇りを取り戻す事に繋がる、そんなキッカケづくりが、この大燈呂制作の目的である。まちの声からは確実に、その思いが伝わっている。
百八十年ぶりに復活! 大燈呂の新たな姿
写真8
『遊女〜その残り香を追う〜』(十月)種田?一氏(日本の化粧文化を考える会代表)と関本徹生の対談
地域コミュニュティーの始まりは神社・仏閣であるが、その神社周辺に必ずと言っても良いほど存在していたのが遊郭。昔は神社参拝を口実に周辺の遊郭で遊ぶ事が多かった。
遊女を語らずして、日本文化は語れずというほど彼女達の影響は大きい。子供達は神社境内で遊び、大人は周辺の遊郭で遊ぶ。良いも悪いも、表も裏も渾然として、おおらかな生のコミュニュティーがそこにはあった。
『笑うまちかど』(十二月)雲水坊風之助氏・茜亭長次郎氏・よいどれ亭紳士氏
路地はかつて人々の社交場であり、笑い声が響き渡っていたが、今やしんと静まり返り薄暗い場となっている所が多い。少子高齢化により空き家が多いのもその原因。
その空き家(町家)を購入して住んでいる住人の好意により路地を再び笑い声で取り戻し、路地(まち)を温める、ほんのささいな事ではあるが、その一歩が誰も踏み出さなかったのである。
少子高齢化による空き家の増大、それに伴う地域コミュニュティーの崩壊。これらは過疎と呼ばれている地域に見られるが、都会においてもその現象はあり、東山区においても例外ではない。
地域コミュニュティーという新しい言葉として捉えがちであるが、これも近代産業遺産である。
少子高齢化は時代の流れではあるが、隣近所と声を掛け合う、子供達の教育を地域で育むなどは、昔からあった生活スタイルであり、現在でも十二分に通用するスタイルでもある。むしろこれからの時代にもっと必要となるはずである。現在に沿った地域コミュニュティーの在り方を提示した年でもあった。
京都は世界遺産がひしめき、国づくりの礎となった歴史、文化、宗教、産業が今も脈々と継承され、そこに多くの観光客を集めている。しかし、京都に限らず多くの観光地は画一化・マニュアル化され、単に物見遊山としての歴史遺産を見たり、伝統芸能や伝統工芸に触れることで、その本質にある、隠された意味合いを知らずに通り過ぎるばかりである。日本は歴史も古く、京都・奈良に劣らず、質量ともに膨大な文化的な遺産が残り、個性的な習慣、風俗、言葉、食文化、さらには呪いの類まで残っているが、誰もその本質を教えてはくれないところに不満を抱く。同じ宗教、建造物を持つ隣国の外国人観光客、さらには自分たちのルーツと歴史に関心を抱く人々にとって、満足が得られるかが問われている。
グローバル化が進み、また科学や高度情報化が進む今、元来、日本人として持っていた個性的思考や想像力、感性までもが失われつつあるように思える。
近代産業遺産アート再生の理念は冒頭でも述べたように、単に建造物・構造物だけを対象にしているわけではなく、その土地と人々の思い入れの中にある抽象的資源(歴史・伝承・伝説・逸話・制度・信仰・古事など)を具現化する事業でもある。観光振興、産業振興、地域ブランドづくりに認知度アップ、地域住民の結束力、産官学連携、助成金の活用等などと言われるものの、実際にはある地域で成功した凡例をそのまま自分の地域に当てはめ、歴史も文化度も、またそこに住む人々も違うものの玉虫色に同じような取り組みでしかない地域振興をしているのが現実である。
近代産業遺産アート再生プロジェクトは、従来の地域活性化を提案するコンサルティング会社や地域振興プロジェクトと違い、まったく異質のものである事が理解できるであろう。まさに「あなたのまちの愛し方」をお手伝いし、その中にある近代産業遺産(建造物や構造物、さらには風景や人々の記録・記憶にあるもの)の活用が、様々なアイディアも含めて実現可能な取り組みをおこなう。そういう状況になって初めて地域マーケティングやプロモーションを活用し、多くの人々を巻き込み、またその集客力や経済効果を有効に使い、地域ブランドを浸透させていく事となる。
我々が日々生活し、また四季折々の自然の中で、その土地にまつわる"記憶"を辿るとき、そこには人間以外の存在を知り、土地に埋め込まれた記憶を暴き、その芸術性や文化性による"自分探し""日本探し"を論じ、現代のような格差社会や自己中心的な物の考えが横行するに至った原因や、もともと日本人が大切にしてきた『神』や『先祖』への崇拝の念を再び思い起こす事で、日本人のアイデンティティを問い、DNAに存在する心のイニシエーション体験を捉えた新しい資源を【創りだしていく】事がこれからの課題でもある。
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