都市と建築の再生
渡辺 豊和


 「都市と建築の再生」こそ豊かになったはずの私達にとっての最大の課題なのではないか。不況の克服なくしてそんな悠長なことに取り組めるかと反論されそうだがよくよく考えてみれば現在の不況も実は豊かさへの際限のない欲求、欲望の裏返しでしかない。バブル期の狂気じみた金欲、物欲を思い出したらたちどころに了解されるではないか。かつて日本は美しかったと誰でもいう。それなのに今、国土は美しくない。都市も美しくない。辺境にすら新しくピカピカした建築がみられるのにその風景のうらさびしいこと。この原因の一つに土建国家化した政治の反映があるのかもしれない。そのことに無反省な建築の世界。その一員として自戒をこめて記したのが「建築の再生」である。ピカピカツルツルと箱型コンクリート建築がもたらした罪は想像以上に大きい。国土と都市の風景を貧困化してしまったがこのことに建築家はもっと真剣に思いを馳せるべきではないのか。ファッション界そこぬけのデザイン競争にうつつをぬかしている場合ではあるまい。こうした風潮も政治の陰謀だった可能性が高い。そのことに建築家もいちはやく気付くべきだった。これにやっと気付いてみてさてそれではどうあるべきなのかを問うたのが「機能深化」への誘いである。グロピウス、コルビュジェ、ミースなどの近代建築の主題は「機能」であるのは周知のことである。これが建築と都市を単調、退屈にしてしまった反省から主題を「空間へ」と移していったのがポスト・モダニズム以降現代に至るまでの展開であろう。しかしこの「空間」への移行が結果として国土と都市風景の荒廃を招いているのならもう一度「機能」を見直してもいいのではないか。機能とは単的には用である。用を極めて単純化してしまったのが近代主義の「機能」だった。しかし用が発生する時には近代主義者達が切り捨ててしまった種々様々な要因があったはずである。コルビュジェの「住宅は住む機械」に代表される用とは違う用の発生原因こそ問題なのだ。
 一番単純な話、人類は居住場所として洞窟を選んだ瞬間に洞窟は居住という用、機能をみたした。住居における機能と空間の同時発見だったのである。本書には「元型」が頻繁に使用されている。元型は精神分析学者C・G・ユングの用語でありなかなか理解困難な概念である。洞窟こそ住居の元型なのである。しかも居住機能の元型をも示している。
 例えば蛇が尾をかみ輪をなす様態(ウロボロス)ははじめもなく終りもない混沌をあらわす元型とされる。元型も一つだけではなく多種ある。が古今東西の名画は元型的イメージにみちている。ピカソだって例外ではない。こわれた人間の絵などむしろピカソこそ元型だらけなのだ。だから元型に機能を発見するのもピカソ的営為に近い。しかし具体的には洞窟の例がもっとも端的であるだろう。とはいえ元型を古いカビ臭いとさげすんではならない。現代科学が発見する世界像も一つ一つ元型なのだ。フラクタルなどその典型であってコンピューター画像で初めてその華麗な姿を目にすることができたではないか。元型的機能として重層空間を提示しているがフラクタルの空間化と考えて読んでいただければ了解できるのではないか。重層、重囲は城郭に最も端的にあらわれる形式であるがあれは中心に「王」がいてそれを防護している機能側面を如実に示している。城郭は戦闘用建築であり生死がさし迫った局面で築かれる。こうしたさし迫った時に必要とされる建築にあっては元型と機能が表裏一体となることが多い。私達は常時生死の境をさまよっているともいえ、その意識で設計すれば元型と機能が重なった空間を発見するのも思ったよりはやさしいのではないか。その前に機能を現象学の視野に納めたらどうなるかが重要なのである。現象学は意識を扱う哲学なのだが決して難しいわけではない。なにげなく見過ごしてしまいそうな事物や事象に着目した時にそれがどう意識化されるのかを克明に考察しているにすぎない。「古池やかわずとびこむ水の音」芭蕉の俳句は現象学的文学の典型であろう。しかしそこには思いがけない発見がある。建築の代表例は毛綱毅曠初期の計画「給水塔の家」であろう。自宅のそばに給水塔が廃棄されたまま放置されていた。彼はそれが自分一人の住居になるのではと考えた。ただそれだけのことである。しかし美しく抒情性豊かな佳品だった。残念ながら毛綱はこの極めて現象学的設計法から遠ざかっていった。しかしこれは彼一人の齟齬ではない。時代もそれを許さなかった。たった一人の詩的発見にこもっているわけにはいかなかった。しかし今機能深化を図るには毛綱の発見を再評価する必要がある。とはいっても本書はそのことに触れてはいない。石造のイメージであるが廃虚で子供達が嬉々として戯れているとしよう。これが最高の幼稚園にならないのか。この空間特性を解析して未知の幼稚園機能の発見へと到る。これが現象学的機能発見なのである。現実に眼前にある空間から新たなる機能を生み出す。それが更に元型まで深められれば「機能」は最深奥に達する。こうした思いを抱いて計画したのが「庭園曼荼羅都市」神戸二一〇〇年の都市像である。ところが記述順序は「庭園曼荼羅都市」が一番古く次に「機能の深化」、最新が「建築の再生」なのである。
 註も含めて本書には大阪、京都、神戸、奈良のそれぞれの一〇〇年後の姿が提示されてある。 基本はすべて「庭園曼荼羅都市」である。(拙著『二一〇〇年庭園曼荼羅都市』、建築資料研究社、二〇〇四年、序文から)