■第3回研究会 摩訶不思議アートツーリズム分科会主催 2006年10月28日
講演会「光と闇に漂うマネキン美」
講師:藤井 秀雪氏(京都造形芸術大学教授 空間演出デザイン研究センター・学会理事)
講演会「日本文化の中の西洋人形」〜キューピーからラブ&ベリまで〜
講師:種田 吟一氏(ビューティーサイエンス学会理事・日本人玩具学会運営委員会)
ディスカッション
出演:藤井 秀雪氏、種田 吟一氏
モデレーター:関本徹生(アーティスト、京都造形芸術大学教授、学会副会長)
▼藤井先生
藤井です。私は近代産業遺産アート再生学会の理事をやっております。
ここにおられる関本先生や著名な方々とともに、行っております。
今日は、マネキンの話をここでさせて頂こうと思います。ということで、皆さんに一枚ペラをですね、レジュメを今日ご用意させていただきました。
なぜ、私がマネキンをお話するかといえば、実は私はかれこれ43年間、マネキン会社におりまして、マネキンを作るんじゃなくて、マネキンに値打ちをつけるというか、そういう仕事なんですね。まぁ、言えば関係の仕事になるんです。マネキン作家っていう職業の人は企業におりましてですね、とにかく簡単にいうとマネキンを作る人なんですね。
粘土から原型を作って、製品にまでする。その仕事をする人をマネキン作家といいますが
割合、作家というのはあまり語りたがらないそういう習性を持っております。
だから、非常に寡黙な人が多くてですね、なぜマネキンを作ったのか、なぜこのようなマネキンを自分が作ったのかということをほとんど言葉にはしません。
したがって、マネキンそのものは芸術作品でなく商品ですから、やっぱり企業が大いに市場に出て行ってもらわなければならないわけですね。
したがって、そのマネキンについて解き明かすというがどうしても必要なんです。
それがまぁ、私たちがやっている広報関係の仕事なんですね。
ただ、マネキンといっているのは商業の場面で使われる言葉ではありますけれども、やはり人形だということは変わりないわけです。
ただ、服を着せてよく見せて、見てくれるというそういう人形であるというその一方で、きわめてリアルな人型をしているという意味において非常に人間に近い存在でもあるわけです。
私は最初ですね、そういうマネキンは一つの商品として、市場に流通し、そして、服をより良く見せる理想の身体、または人形であるという、比較的一面的なそういう見方を長く持っていたと思います。それがいくつかの私の経験がきっかけと成りましてですね、そういうマネキンの今日の話の中で光の部分だけではなくて、実は光の影にですね、闇というものがあるということを、そうすると光と闇の非常に表裏一体の関係なかで光があり、闇があると。
ちょっと、難しいかも分かりませんが光から闇へ、まっすぐ一つの時間的な流れというのも一つあると思います。当初、光の空間があったものはやがて闇に葬られると、そういう時間軸の流れがあると同時に、光の空間にあってさえ、そこに闇が存在するということに気付いた。ということですね、ここが私のマネキンというものの興味のまぁ、実は深まりの一番のきっかけだったということですね。
それは、急に訪れたわけではなくて徐々に、訪れたわけです。その最初のきっかけをあたえてくれたのが誰かといえば三宅一生さん。
1989年、東京にですね、ラホールミュージアムというですね、それまでは十戒図というのは沢山あったと思うのですが、大変装置としては新しいものを使った、光とか音とかそういう、いわゆるメディアをですね、シンクロするそういうインスタレーション空間というものをラホールミュージアム、いわゆる盛ビルがですね、作り上げたんですね。そこのオープニングというか、それを下地にするイベントとしてですね一生さんのコレクションを発表するということが企画されました。
通常ですねコレクションといいますと、ファッションショーと考えられますが、そのときはすべて時空間、いわゆる展示によって自分の新しいコレクションを発表するというそういう空間演出をされました。その演出をされたのは京都造形芸術大学の現在春秋座、京都芸術劇場の芸術監督の毛利臣男さんが演出したんですね。そのときの空間の大きい特徴というのは廃棄されているマネキンがつかわれたということですね。
倉庫の片隅に山積みにされている手ももぎ取られ、そして傷ついて、まさに使い捨てて、そしてやがて粉末となる…そういうマネキンをですねもう一度光の空間の中に呼び戻そうじゃないかというそういうことなんですね、そして、そこからマネキンの再生。
それをかかげて、そしてその素晴らしい空間、インスタレーションの重要な要素としてマネキンが使われました。そして、三宅一生の最新のコレクションを見にまとうということが書かれているんですね。
そのときのマネキンはどんなのかといえば、体一面におがくずが付着されている。
分かりますか?木のくずをですね、樹脂でくっつけでしまう、全身をですね。まさに、おがくずによる身体なんですが、そういうもんなんですね。そして、そのおがくずがですね、素として素材に帰っていくというそういう表現というか、おがくずが付着しているんですが、足元にですね、そのおがくずがちりばめられているんです。
見方によればおがくずが身体になったという風にも見れるし、そのおがくずによって生まれた身体がやがてまたおがくずにもどっていくというそういうイメージが空間の中で表現されました。それは、空間の中央にですね演出がなされたわけですね。あと、三段ぐらいの段を作ってそこに、何十体もの再生マネキンを展示する。それで、物語が終わったかというとそういうわけではなく、やがてそのマネキンは三宅一生さんの海外のショップのウインドウの中なんですね。そして、大変注目を集める。よくおっしゃったのは、あのマネキンは今、また再び明るい照明のもとで僕の最新の服をきて第一線で活躍している。
そういう捨てられるものをもう一度そこに光をあてて、そして塗りなおすことによって素晴らしい人形として、アートとして再生するという、それが1982年。
早いものでいまから26年になります。それ以前には、そういう『古いものはあくまでも古い。捨てたいものは捨てるんだ。そして、新しいものを作るんだ』という、そういう思考しかなかった。それから三宅一生さんのプロジェクトの中で、まさに私たちが今、ここに警鐘している近代産業遺産アート再生ということがすでに26年前にされたという。このことが大きなきっかけになったと思います。
それから私は『捨てられるマネキン』というものに対して一つの思いをかけるようになってきます。同時に社会にですね、ご存知の方もおられると思いますが、現在京都造形芸術大学の芸術学部学部長をしている大野木先生に、同じ会社で同じように仕事をやってきたのですが、彼があるときにですね、80年代の後半に入っての話なんですが、どんどん捨てられていくということにですね、はたしてこれでいいのだろうか、何でも物を作り、いらなくなったものは捨てていく。それでいいのか。本来、自分たちの企業の歴史を紐解けばそういう時代ばっかりではなかった。ちょうどマネキンが戦後、私は七彩工芸という会社なんですが、私もいたんですけれども、まだマネキンがソセシという紙で作られていた、つまり京人形の精巧を応用して、そしてマネキンに作り上げたのは日本のマネキン企業のパイオニア、島津マネキンという、現在の島津製作所が戦前ですね、マネキン会社を経営しておりましたと。その島津マネキンが開発した技術で、これは日本独自の製法である。したがって紙ですから、燃やすことが出来たわけですね。1949年から9年間、七彩工芸がですねマネキン…祭というものを開催していたのですがもののあわれというものをですねやっぱり惜しむようなそういうものづくりのわれわれでありたい。ということでですねギシチョウというものを行いましてですね、それはものすごいお祭りなんですね。
なにか去り行くもの、消え行くものに対する哀れというものを物を作る人間の魂というか、そういうものをマシルような大きなムーブメントを9年間やったんですね。
ドンちゃん騒ぎです。あまりに悲しい、それで虚しい、それで燃やします。そして感謝をする。まず、ものに対して感謝をする。そういう気持ちを託してゆくんですね。
そして、ものをつくるということに対する許しをこうというかね、そういう派手な宗教儀式というか、一つのイベントといった方がいいと思うんですよ。
記録によると歴史には特別な主語はないということですね、会社の首脳陣がですね、神主に成り、牧師に成り、そして僧侶になるという。それぞれ扮装しましてですね、そして、神主は祝詞を唱え、牧師さんはキリストのお題目のようなものを唱え、そして感謝を表すと。そんな風に意識した後はもう飲めや歌えですね、ドンちゃん騒ぎということですね。
ものすごい仮装して、そして京都の市内を練り歩くと。だから、ちょっとした夏の風物詩、有名な行事になったわけですね。
じゃが池、比叡山のじゃが池というところがありますね。あそこで開催されたこともありまして、そこでは大仮想パーティー。祗園から芸妓はんとか舞妓はんが来るは、大学の先生たちや文化人、企業の室町の旦那、百貨店の関係者、もう各界各所の人達がですね、そろう。そういう時代が9年間続いたんですよ。
でもね、マネキンがプラスチックになってからですね、どうも廃棄するということをなんかね、非常に哀れむというか、感謝の気持ちを表すということがなくなってしまった。
それでもどんどん作り、大量生産し、どんどん捨てていく。実は『エコラピー』という素材はガラス繊維、強化ガラスといいまして、ガラス繊維が曲者で、粉末にしても何にしてもですね、自然界に分解しない。そういう曲者なんですね。最初は、問題にならなかった。
『エコラピー』を使っている製品のなかでマネキンが占める割合というのはごく一部ですね。そんなに社会的な悪影響を与えるわけではないのですが、いかんせんマネキンというのは人間の形をしていますから捨てるということには非常に難しいです。
一時ですね、テレビのニュースで海底に捨てられているマネキンという、それ、この通りですねマネキンを捨てる、海に捨てるという奴がいるんだと。ものすごいんですね、海の中に沈んでいるマネキン。まるでどざえもんみたい、そんなショッキングな映像が映されてですね、ちょっと話題になったんですよ。
だから、どうしてそれがあって、全部粉末にしたんですよ。産業廃棄物の業者がきましてですね、それで一体一体処分していく。だから、在庫から一体一体減っていくわけですよ。
だから、何回捨てましたというのをちゃんと記録してやらないと在庫として、税金の対象になるんですね。だから、完全に抹消した、その人形を。ちゃんと記録していかないといけないんです。僕もね、一回その情景、見たことあります。恐ろしかったですね、その情景はね。清掃車で倉庫に来るんですよ。何でもかんでも押し込んでいくのありますよね。
ゴミ収集車のような、あんなの。それで、マネキンを押し込むんですよ。するとバリバリバリッっとものすごい音が鳴ってですね、見る見るうちにガタガタガタッと吸い込まれていくんです、ものすごい悲鳴にも似た大音響を発してですねマネキンが吸い込まれていく。それで、一体処分するごとに、ピッと消していくんですね。なんか霊安室のような情景に、いや、こんな恐ろしい情景を。まさに今日の光と闇のですね、闇の極限みたいなあんなにも美しいあんなにもきらびやかな光のもとで光り輝いていたマネキンがですね、このように大きな悲鳴を上げてですね、悲鳴にも似た音を立ててゴミ収集車の中に吸い込まれていく。そういうような情景も私は目の当たりにする。
したがって、物事というものは決してその一面からだけ見て、見えるものではない。もののみる角度として、色んな角度から見る。表からだけ見ているのではなくて、裏からも見てみる。明るい光のところだけじゃなくて、光の当たらないところも見てみる。そしたら、どのようにものが見えるか、マネキンならどのようにマネキンの表情が移ろい行くのかということをですね。
マネキンに関する、人形の話をするというのはこんな立派な公舎でですね、大々的にマイクを使って『さぁ、皆さん』みたいなことをやるもんじゃないんですよ。大勢というのもまた良くないんですね。大聴衆を前にして『さぁ、皆さん。私はこれからマネキンの話を致します。』なんかその、情景を浮かべただけでなんか非常に妙なんですね。
だから、こじんまりとですね、ホントはもっと暗いちっちゃな教室みたいなのを電気を消して、カーテン一つ開けて、ひそひそ話をしながらですね、感じるものなんですよ。だから、今日はいいなぁと思うのは、本日うす空ですよね、これぴったりなんです。おそらく昭和10年ぐらいに島津マネキンが、当時の昭和11、2年なんですね。島津マネキン新作発表展示会展示場、空間の写真もあるんですよ。つまりこの建物がですね、昭和11、2年に出来ています。ちょうどその頃は島津マネキンの最盛期なんです。その後戦争がありますから、とにかくマネキンは作れない。そういう悲しい時代が来るわけですね。
だから人間が戦争で大事な命を落としていく。そして、いたいけな子供たちやお年寄りは直接戦争に関係ない人達がもう何万人もいて、何十万人も亡くなりました。そういう人間が苦しんでいるとき、人間の命が非常に危ぶまれているときというのはマネキンも同じなんですね、人形も。だから、人形と人間というのは非常に表裏一体の関係、運命共同体やと思います。だから、人形も幸せな時代って、人間も豊かなんですね。
今、どうなんでしょうかね。光の大きい眼下でもそういうマネキンというのはウインドウディスプレイ、あるいはお店の中に入ったステージ、舞台にですね、そこに美しい衣装を着てディスプレイされている。明るい照明を当てられている。そして、最新のファッションを身につけてる。ところが最近は光の空間であるりながらですね、ちょっと陰りを感じてきた。
実は本当の意味での人間がですね、心の底から美しさ、楽しさ、豊かさ、素敵さ、そしてその理想に揺れ動くんですね、人間は。実は戦後もこんな日本でさえ、夢の空間というのはいっぱいあったんですよ。ところが、ウチの大学の学生が生まれて以降ですね1986年に生まれて、いま2006年。ちょうど20歳。こんなちっちい子らが、ところが自分たちが少しこう、お父さんやお母さんに百貨店とかそういうところに連れて行かれてですね、見る風景というのは非常によく言えばさっぱりしている。言い換えれば、非常に飾り気がない。
モノというものを全面に押し出して、いかにモノを売るそういう仕組みをつくるかっということが現在のお店の形になっているわけですね。特に百貨店はそういうふうに、マネキンをつかって少し華やかにしてますが、それも80年代の前半、中盤と断然、差がありますね。特に1990年代ですね、非常にマネキンの数がどんどん減っています。最近京都の百貨店さん行ったら、売り場の中にですね、マネキンを見ることは少なくなってきました。特に、顔がリアルなマネキン、体がリアルなマネキン、リアルマネキンと呼ばれるものなんですね。ほとんど、売り場の中からもう、ほとんど影を潜めています。ウインドウでディスプレイされているというものがあるんですが、そういうものは経費がかかるからということでなるべく『お金をかけない』という方向でですね、どんどんどんどん簡素化している。だから百貨店というのは『あんなもんかなぁ』と今の学生は見ている。
それで、映像が映らないので想像力に期待するんですが…人間の中にある人を楽しませようという意識というものがものすごく深いものがありますね。ところが、その逆になると極端に遊べなくなる。だから、今、よくいう話なんですけど予算というものがありますね。だから、遊びたくてもお金がない。この世の中というのはお金は巡回しているんですね。
そのうちまた、景気があがる、予算がある。こんだけ予算があると面白いこと考えなあかん。そうなると予算の使い方が分からない。面白いことを発想できない人間がですねいっぱい出てどうなるんやろと。そういうふうに思うんですね。そこが一番やっぱりね、いわゆる今の出来ることだけじゃなく面白いこともできる。でも、そんなもんじゃないんですよと。ここに関本先生がいらっしゃいますけれども・・・・
(関本) 実は七彩のマネキンを使ってオブジェマネキンですね、それは実際服を着せるわけでもなく、こういうものですわ。なんや説明してくれといわれてもまぁ、こういうもんですわ。
そこが重要なんですよ、そこが大事なんです。一々、これがなんぼのもんですか?とじゃあこれはいくらのお金になるんですかとよくそういうことをいうんですよ、世間は…
それでいくら儲かるねんと。この店でいくら儲かるねん。じゃぁ、一千万売りあがりますと。で、一千万売りあがらないと「ほれ、見てみろ。全然おまえのいったことは嘘やないか」そのやりとりばっかりが、ずーっと続いてきたからね、ちょっとこの辺で少しわれわれは、本来の人間の一番、気持ちの奥底に奥へ奥へ押し込んでしまう、押さえ込んでしまってるんですね。一番奥に堆積している、うずもれてるものをいっぱい出さないかんのですね。もう、一回光のあたるところばっかり目が行ってしまうと、闇の部分、その一番奥にある部分を引っ張り出させると人間とは一体何を求めているんだ。人間は何に対して幸なのか、喜びとか、何か光がある。そっちに光源があるとわかってくるんですよ。
今日来られたかたはなんと想像力豊かなのか…それぞれが僕の話を聞きながら『こんなことかなぁ』、『あんなことかなぁ』と想像力を働かしていらっしゃるんです。
で、これって次の時代をリードしていく人間の能力と思うんですよ。要するに、見えたものを判断する、これは誰でも出来るわけです。ここに写真がでたら確認するだけです。ところが今日は見えないんです。
実は私の話と同時に作品を見せようと。一つは『午前三時の京都』という映像を見せます。これは授業では見せたことがあるのだけれども、その下にあるハヤシマサユキの写真集でない写真。これは1987年にその当時、
そこでウルトラマンキッズとかやってるプロデューサーが僕の友達の友達なんです。面白いこと出来ないかって言うから合ってみたんですが、フジテレビで「午前3時の恐怖」という番組をやっている。午前3時に3分間世にも恐ろしい映像を自分の知り合いに作らせて、深夜の3時に流す。それが40何回続いて、それの最後の3回に藤井さんにマネキンでやってみないかと言われ、実際にやってみて放映されたわけです。1、2、3は3日間連続です。3回連続で1つの話になってるんです。音楽は僕がこんなイメージの音楽を作ってくれんかなと言って、「うぁああ〜」と人が泣いているようなのを歌って作ってもらった曲。あと詩を書きました。マネキンに対しての詩を書いた。朗読してもらったと。映像はいわばその時代の最先端の技術を使ってやってますから、とくとご覧頂きたいと思います。
それでね、僕の友達ってのは夜遊びの好きな奴が多いんですけど、大体家に帰るのが2時とか3時とかで、流石にすぐに寝ないでちょっとテレビ見るそうで、するとこれがでてきてね、見たよって言われたり。この間ホームページ見ていたらこの午前3時の恐怖が話題になっているそうです今や。マニアの間で。それでかの有名な関西の藤井さんの作ったマネキンの〜とか紹介されてて、全然知らないやつから笑
(関本) 説明だけしておきます、このマネキン(108煩悩マネキン)なんですけど、知ってる人は知ってると思いますがこれ以外に107体あります。これは108煩悩を1体づつ作ってその中の1体です。これがなんの煩悩なのかは忘れましたけど、たしかこれ写真集では夜中の12頃ゲリラ撮影してきて逃げてきた、午前0時の恐怖…笑
(藤井) 大学にも10何体あるんですよ、どこにあるか知らないでしょ?劇場の2階の人気の少ないとこにあるんです。関本関連の話になるとちょいちょいでてくる…。
ハヤシマサユキさんという写真家さんなんですが、ある時にクライアントの仕事で東京の倉庫を撮ることになってきたんだそうです。そんでマネキンを撮ってまして、倉庫の前でマネキンが裸で佇んでいるわけですね。ふっとマネキンと目があったんです。するとマネキンがふっと語りかけてくる。「私を見て」と。その声が聞こえて、それから釘付けになってしまった。でもクライアントからの仕事ですから一応撮り終えたんだけど、また来ます。それから8年から9年かけて写真集を出します。
彼の写真集の中に登場してくるマネキンは1体として服を着ていない。全部裸です。マネキンの倉庫ですから裸であるのは当然です。実は日本のマネキンは買い取っているんじゃなくては全部レンタル、お店が借りているんです。だから最初に行ったお店で仕事が終わったらトラックに乗って帰ってくる、そのまままたぼーっと次の出番を待っているんです。ということはその前に施された肌の色や化粧はその状態を消さないままに立っている。同じ形のマネキンなのに全部肌の色や見え方が違うんです。それがずーっと並べられている。中には汚れているのもあるし、ちょっと傷ついているのもある、いわゆる疲れ果てて帰ってくるんです。デパートとかで色んな服を着せられて素敵素敵と言われた声を投げかけられたマネキンと、大売り出しの安物の服を着せられて少々マネキンが傾いていても気にしないようなところで扱われてもう嫌だ!という叫び声みたいなのが倉庫の中で充満しているわけです。それをハヤシさんというのは非常に敏感な、繊細な神経を持っておられる方で、ふっと感じて写真を撮り続けているわけです。
とにっかくマネキンの本というのは非常に少ないんです。私が知る範囲では1991年にナッツというところがマネキン特集を出している。その2年後に全部マネキンの本を出している。そのくらいですね。写真集というのは1冊も出ていない。ハヤシさんの写真集というのは画期的な…。しかもそのマネキンは、光の中の美しいマネキンと言うよりは闇の中の空間の中で次の出番をまっているというそういうマネキンなんです。皮膚が剥がれている。ぽろっと剥がれると前の皮膚がでてきたりする。というのも上から上へ洗い流さずに皮膚の色を塗り重ねていくんです。顔もそうです。1体のマネキンはいくつもの顔を皮膚の内部に秘めている。積層している顔と。人間なら全部化粧をとってしまいますけど、マネキンはとらない。木の年輪のように過去の記憶を皮膚の内部に留めているというイメージですね。そしてその中身は完全な空洞ですね。皮膚の厚みは2〜3ミリです。中は全部空洞で真っ暗闇です。なんぼ美しい光を外部で浴びていても中には非常に暗い闇を抱えている。ただしそれは光の空間に居るときは闇は表出しない。ところが捨てられた瞬間にどわっと出てくるんですね。表面に出てきます。モノっていうのはなんでもそうです、マネキンに限りません。
以上です。
(映像)
▼種田先生
私は、今日のご紹介の中にビューティサイエンス学会というのがありまして、日本人形学会というのがあるんですがその時は藤井先生にご講演いただいたときはマネキンとファッションというお話をしていただきました。今日のようにもののあはれの世界とはちょっと違いました。それと京都造形芸術大学と縁があるのは、タブチ先生?にビューティーサイエンス学会に来て頂きました。
今日はたまたま藤井先生がマネキンをやると言ったものですから、それに合わせてお人形の話をしようかと。お人形の深いモノが出ましたので、わたくしのほうは逆にカラッとして帰って頂くためにはお人形の陽の方を見て頂かないと、陰ばかりでは人形と聞くだけで恐怖が残りますからね。今日はイスラム方式はやめまして、イスラムは目を見ると怖いということで仏像とかみんな目をカットしてしまうので、そうじゃなくて、人形てのは可愛い顔しているんだなと思って頂ければと思います。
ずっと日本列島各地の人形を見て回りましたけど、世界で日本が一番お人形の国なんです。そのくらい人形の数があり、それが古いモノから全国各地に保管されている。素晴らしい人形の文化を持っている国だと思います。たまたま今マネキンの話がでましたけど、例えばバレエのコッペーニョだとか、日本舞踊の京人形だとか、色々ありますけど。かしゃを決めると全部お化粧をして髪を全部植えて結髪する、終わったら全部取ってしまう、魂が宿っちゃうのでもとの顔に戻します。日本は人形に凄く深い何かを感じている国ではあります。
今日は大正時代からマネキンというのは日本のデパート文化、楽しい価値観がどんどん来た時代ですのでそっちの方から入らせて頂きます。
日本人が東洋でありながら東洋らしくない、西洋っぽいかと言いますと、明治に舶来という文化が徹底してブランド、ヨーロッパやアメリカ思考になって。その後出てきたのが文化、なんですけど。なになに文化、文化鍋とか。そういう時代背景をバックにして日本人が一番喜んだのが小さい子供から大人まで影響を受けたのが青い目のお人形。――ここでいう青い目のお人形はキューピーちゃんのことを言ったのか、あるいはアメリカから親善大使出来た青い目のお人形を言ったのかあれですけど、60行の詩ですからキューピーちゃんのことだと思うんですね。ちなみに今日私全国に1本しかないネクタイをしてきました。これキューピーです。今日特別に見せます。生徒に言うのは、キューピーって1人だと思うでしょう?キューピーは沢山の仲間兄弟がいるんです。わたしがしているのはチームの旗を頭に付けているリーダーです。セラピスト、カーペンターいろんな仲間がいるんです。キューピーが日本に入ってきたときに日本人がどんな風にこれを受け取ったのか、これが青い目の人形の歌。青い目をしたお人形はアメリカ帰りのセルロイド♪という歌。お人形がセルロイドでできていると、セルロイド製は間違いなくキューピーですね。キューピーってのは燃えやすいんですよ。キューピーを保管しているところの話を聞くと完全に防火装置ついてます。なんでも鑑定団にキタハラさんっていう人がいて彼のマンションに行くとずらーっとコレクションのキューピーがあります。
みなさんキューピーの楽曲って聞いたことありますか?最初の歌(キューピーさん)はキューピーのおっきな目を強調しています、次がキューピー・ピーちゃんという歌で、これが全部大正末期から昭和にかけてもの凄く流行ります。キューピーの人形がなぜこんなに日本で受けたのかというと、実はこの人形凄い生命力がありまして、アメリカのローズ・オニールさんというのは大変な美人で。アメリカのお人形なのに何故戦時中も生き延びたのかというとこのお人形の生産がドイツだったんですよ。キューピーってのはキューピッドではないんですけど、キューピッドっていうとギリシャ神話ローマ神話のですね。日本のキューピーの中にはヒットラーの格好したようなのや歌舞伎の格好したのもあるんですよ。それから兵隊さんが戦争しているときにキューピーを持ちながら記念写真を撮ってるんです。本当不思議だったんですよ、アメリカの人形ですからね、本来なら鬼畜米兵で日本では嫌われちゃうのにこれはずーっと戦時中も生き延びました。
キューピーは色んな意味で日本に影響を与えました。まずキューピー、ディズニーのミッキー、サザエさんのカツオとワカメ、それからアトム、ドラえもんもそうですね、あられちゃん、ピカチュウ、並べた中でイメージ化すると共通項があります。目が大きい、大体まるが中心になっている。日本人はだいたい三頭身くらいで丸くて目が大きいというのにもの凄く親しみと優しさを感じます。日本人が余所の国と違う、日本独特の美意識じゃないかと思うのですが。目が大きいというのは、日本人が一番お洒落に気を遣うのが実は目の回りなんですね。私の会社化粧会社です、睫を長く見せる化粧品何百本も売れているというので会社が大変喜んでますけど、日本人は目を大きくするのが大好きなんですね。
そこで今日はいろんなものをお見せするんですが、これバービーですね。バービー人形というのは日本で昭和30年に入ってきますがさっぱり売れないんですね、失敗するんです。ちょうどそのころですね、始めて日本人がゴールデンプロポーションサイズに気が付くんです。それまではなんでブラジャーを着けるかというと、昔はブラジャーはこういう風に綺麗に見せるために着けるものじゃなかった、着物だから乳バンドといってね、ひっこるためにしていた。押さえて出ないようにしていたんですね、それがやっと昭和30年代になって実はそうじゃないんだ、綺麗なサイズが全部数値化されてきたんですね。その数値化したのをもとにしたのかわかりませんが、第2弾のバービーが出ます。そのときは最初のバービーってのは鼻が高くて、ぐっと出ていて日本人離れしています。それを鼻を低くして目を大きくして、ちょっとお椀がたにしてぐっと日本人に近づいたんですね。むこうのものをそっくり持ってきたから流行るんじゃなくて、やっぱり日本人にあわせてある。一番良いのは仏さんの顔なんです。仏さんの顔っていうのは全部そのときのその国の方の顔をうつしていますから日本の仏さんっていうのは優しい顔なんです。お人形もそうなんですよ。このバービーちゃんは日本人にあわせたときにはじめて大ヒットしたんです。このでたあとにみなさんのしっているリカちゃんが出るんです。いまここにいる女性の中でバービーでもリカちゃんでも遊んだことのある方いらっしゃいますか?ありがとうございます。ちなみにちょっと聞きますけどリカちゃん人形の着せ替えで売りに出て一番高かったのって知ってますか?リカちゃんって高させいぜい30pなんですよ。5万円です。このあいだリカちゃん1品だけ特別に指定されましたね、1億…。そういうふうにしてリカちゃんいっぱいでてますね、私が大好きなのは、浜崎あゆみちゃんなんかね、彼女がみにつけているファッションどこでヒントになっているかというとバービーちゃんですね。今こうだくみちゃん出てますね、あの人のファッションなんだか知ってますか?マドンナが日本に来たとき早速見に行きましたね、チケットを買ってね、そのときにマドンナが死体の格好をやってるんですよ。女性というのは昔だから良いというので無くてね、何かをヒントにしている。何かのヒントがどこにあるか、さかのぼると思いがけないところにありますよと言うのをわかって頂きたいんです。
青い目のお人形というのが出ましたね、キューピーが青い目のお人形かと言いますともう一つ大きい青い目のお人形があるんです。これが実は昭和にアメリカと日本で親善のために、これまたね凄いんですよ、日本から行ったのは市松人形で57体って書いてあるんです、アメリカから来た人形1万2千体ですよ。だから戦争やっちゃいけなかったんですよ…。日本からのお人形の名前全部分かります。横浜に名誉館長のかめおかさんという方がいらっしゃるんですが、横浜のははまこちゃんとか神奈川県はかなちゃんとかちゃんと57体全部名前がついてるんですよ、この中から全部写真うつってるんです。向こうから来た1万2千体どこにいったかというと、日本だけじゃなくて当時の朝鮮半島、台湾に行ってるんですね。たまたま5〜6年前に山形県のお人形のツアーに2年続けて行ったときにびわ山々のふもとのちっちゃな町の小学校にアメリカの青い目のお人形がちゃんと保管されていたんですよ。アメリカの人形ですから大半は壊された。さっきのいったとおり鬼畜米兵ですから、けしからんということでみんなやったんですけども、やっぱり日本の中にお人形を大事にするという文化があったものですから密かに天井へ隠したりしてずーっと保管していた。アメリカの方もです57体しかこなかったのを全部壊したんじゃなくて、その地方によっては大事に保管しとったわけです、それが日本に里帰りして。確かもう10年くらい前になるかな、三世、お孫さんが日本に来たときに日本人形学会に来て頂いて特別公演して貰いました。青い目のお人形が全国に散ったということがその後の日本の西洋人形に対するあこがれというものに繋がっていった、文化が全国にいった。お人形の持っている顔立ちから着ている衣装から素晴らしいあこがれるモノがあるんだとおもいます。1万2千体ってのはインパクト凄かったと思うんですね。それが日本人の人形に対するものを与えたと思います。それと青い目のお人形という歌が大ヒットしたわけです。日本中ヒットしたと、戦争中にぴたっと止まりますけど、また戦後になったら復活してきた。それがバービー人形、リカちゃん人形になってきたと。
そうなってくるとリカちゃんの人形に便乗してだんだんでてくるんですね、それがセガが作ったゲームの「おしゃれ魔女ラブ&ベリー」ですね。カード1枚100円もするんですけど、全部集めようと思ったら500枚もあるんですね。今や女の子わーっとやってるんだから凄い子がいるんですけど、渋谷にある若い人のファッションで小さい子供用のブランドがでましてね、大人が着ている人気のなるみやブランドを、ラブ&ベリーそっくり同じ衣装を作ったんですね、大変なことをやりはじめたわけです。やったことによってそっくりファッション化していくわけですね。考えられないことがおこるわけです、それがリカちゃんのゲーム機でてくるんですね、リカちゃんもファッション化していく。これはえらいことになってきたなと思うわけです。最近私が美容室に行くと小さい女の子がもっともな顔して座ってるんですね3800円とか4000円のカットやってるんですね、ふざけんなと思うんだけども。ところが皇室に男の子が生まれると今度は男性ファッションが始まるんですよ、タキシードからはじまって、全部ちっちゃいこのためのファッションがはじまるんです。そうするとなにがあるかっていうと、また美容室に行くんですよ。そうすると何が起こるかというと、子供が西洋人形化しちゃうんです。うわべだけ、みんな素晴らしい格好をさせる。私よくあれをみるとペットの衣装と同じように錯覚しちゃんうんですね、ペットを着飾りますね。どうもそうじゃないんじゃないかと。あんまりそういう風にするということは、果たしてこれでいいんだろうかと思いますね。段々薄っぺらくなっていく、軽くなっている感じがするんですね、もっとこう、どうせ子供のころに教えるんならマナーを含めてちゃんとしたことを教えていかないと本当に孫にも衣装になってしまう。日本語の乱れを親がちゃんとただしてくれるといいんですけどそれがなかなかそう言う風にいかない。
ついでにいうならファッションのことでね、僕の試験は論文なんですよ、オードリーヘップバーンの授業で喋ったときに先生が知らなかったことを書いてきたときに100点と言ってね、僕は人形学会の理事長ですから下の方になんの本読んだな〜と書くんです、なにを出典にしたかと書くんです。努力して調べてくるのが良いんです。書物っていうのは途方もないんです。
色んな話をさして貰いました。人形っていうのは以外と知らないのは、3月にお節句の人形を、ひな人形をお持ちですか?なんで女性が結婚するときにひな人形を親が持たせるかわかります?最近並べ方も分からない人がいましてね、京風だったら男性は…、東京風だったら男性がこっち側なんです。明治になってヨーロッパに行った人たちがレディーファーストを学んだのでこっちになったんです。
(社団法人日本人形協会)では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としどちらでも構わないとしている。 ウィキペディア)
その節句の人形をなぜ親御さんが子供に持たせるか、これは嫁いだ先で娘がなんかあったらお人形が身代わりになってくれるということなんです。お人形というのはどんだけ可愛がったかによって相にあらわれます。で、御所人形のイトウさん、京都御所で等身大のお人形並べているイトウさんいろんな話を聞いたときに修復するお人形の顔を見た瞬間にこのお人形の辿った人生が分かるというんです、幸せな顔をしてるかそうでないか、人形の持っている雰囲気で分かる。年に1回はかならず風通しをしてだしてあげて、年に1回は男女会わせてあげるのがいいんじゃないかと。
実は日本では人形供養をやりますでしょ。例えば淡嶋神社、あそこはあまりにも量が多くてね、凄い感じがしますね。京都だったら〜さん、去年の10月に人形供養に呼ばれまして、なんと島原の太夫が来ていたというね。人形供養をやります。
日本人は古来から人形に対する思いやりがありますからね、またお人形が身代わりになるというのもありますから、是非大切にして下さい。最近ややこしいのはぬいぐるみがたくさんあるでしょ、あとフィギュアとか、小さいもの凄く精巧なのがあるわけです。あとロボットとか。ここまで人形供養になるかわからないんですけど。ただ、日本で3体しかない鉄人28号の復刻版ってのは1体600万はするんです。なんか不思議と御値段高いんです。ただ一言だけいっときます。もうなんでも鑑定団の時代も終わりです。いまから高い値段で買わないように。一時ブームでいきましたけどもうそんなにあがりませんから、これからはなんぼ由緒正しいお人形出てきても気を付けて購入してもらえたらいいかなと思います。
で、別に歌が大好きというわけではないんですけども、キューピーちゃん、歌というのは凄く影響を与えます。音というのはもの凄く大きくて歌と同時にヒットしたんではないかと思いますね。
余談ですけど、死者の書という映画がありまして、あれはまさしくもののけを相手にしていますけど、ただあれは黒柳さんからはじまってみやがわりえちゃんやら…きしきょうこさんやらそうそうたるメンバーで。やっぱりお人形の世界を、人間では表せない、お人形独特の世界がありますね。人間ではいやらしくなるところが人形では浄化されたりとか。ばーっと変わったりとかできます。いまの環境ではわざわざ人形がやってるような振り付けや演出効果やりますね、そういうこともあるので是非、藤井先生がいったマネキンですけども、人形全般すべて日本列島そういうことでみていただくと人形文化の多様性がわかるかとおもいます。
陰の後は陽でなんとか勧めさせて頂きました。私の話は以上です。
●藤井先生、種田さんのディスカッション
関本:キューピーなんですけど、大阪の通天閣にあるビリケンさんと似ていますが?
種田:あれはちょっと違う、別世界ですね。あれは商売繁盛を願うものでキューピーではない。よく間違われるんですけどね。キューピーてのはキューピッドがヒントなんですけど、金と鉛の矢を持っていて好きになるのと嫌いになる二つの矢をもっているのがキューピッドですけど、私の言ってるキューピーの仲間はそういう悪さはいっさいしない、世界平和がたのです。
関本:まず藤井先生のほうからなんですけど、僕が前にすこし映像をみせてもらったんですけど、昔のマネキンも当然そうなんですけど、中でも僕が一番気になったのは当時はやったスーパーリアリズムのマネキン、70〜80年代頃ですよね、あれは僕らかなり壮絶な印象をうけるんですけど、あれは人間一人一人のかたをとってその人だけのマネキンをつくるというものだと思うんですけど、あれの経緯は…?
藤井:それまでのマネキンというのは創作性の高いマネキンで60年代の映画、ハリウッドとかヨーロッパのセクシュアルなイメージ、身体的にはウェストがぐっとくびれている、そしてバストやヒップが相対的にボリュームがある、非常に女性のセクシーな体型を反映していたマネキンが60年代。そして顔は万人受けで非常にキュートな顔可愛い顔。だから日本人に非常に受けました。さきほどおっしゃった目が大きくて鼻がちょっと小さめで唇が大きいそういうセクシーな、しかもどことなく可愛いマネキンが60年代に一世風靡したんですね。しかしその時代の服というのは、既製服は婦人の体型に合わないぶさいくな服だと言うことで、いってみれば非常にレベルの低い服が既製服であった。ちょっとした服は仕立て服、オーダーメイドの服。さもなくば臨時オーダーっていうオーダーと既製服の間みたいなね、キャパティに行けば臨時オーダーっていうのをマネキンは沢山着ていたんですよ。だから案外服のサイズっていうのは日本人の平均的な服のサイズとか体型とかにマネキンはあまり影響を受けていなかった。ところが60年代の終わりから実際の日本人の体型にフィットする既製服が大量生産によって販売される時代をむかえるにしたがって、マネキンにかわってハンガーでつるして服をみせるという方式に変わったんです。だから今も百貨店行くともう、棚にたたんで置いてあるかハンガーにつるして販売されるかですね。したがって実際の日本人の標準的な既製服をちゃんと着こなせるマネキンというのを百貨店は強烈な要望だったんですよ。だから60〜70年代、モデルのミニスカートのキャンペーンがあってそれが67年。68年に出したマネキンはひざこぞうが非常にリアルに作られたり、鎖骨とか肩胛骨とかいわゆる骨格が表現されたり、それまでのマネキンというのはほとんど骨格が表現されてないんですね、のっぺりした体をしているんです。つまり人間に近づいていくわけですね。だから百貨店から既製服の標準サイズの着こなせるマネキンを早く作りなさいと、ウェストが50センチ?しかないようなマネキンはスカートが着れないから、強烈にオファーがきたんです。それでいかに人間に近づけるかってことでアマチュアがもの凄い苦労するんですね。たとえば立体カメラとか、人間って複眼でみるから立体に見えると、2台のカメラで撮ると立体に写真がうつせるんですよ、そういうカメラで人間のモデルを撮って立体に認識するということもやりましたし、それから壁に巨大な鏡みたいなものを備え付けましてカメラを4台セットしまして、2台は鏡に映っている後ろ姿、4面同時にシャッター切ると、ストップモーションあるしゅんかんを同時にシャッターをきれると。4面からの人間の体の瞬間をとらえた写真撮ったと。どんどん人間に近づこうとしていくわけです。で70年代にはいって今のアンアンとかノンノみたいなファッション雑誌が刊行されますね。すると雑誌のメディアの中では若いモデルがその当時最先端のファッションのライフスタイルをリアルに提案していくっていうかね、すると人形っぽいマネキンでは非常に陳腐化して時代遅れだということで、まるでファッション雑誌からぽんと出てきたみたいなマネキンってできないかなとなってきたわけです。そこで70年代初頭に実際に人間をかたどる技術が開発されたわけですね。その技術の最たるモノは人間の目を開けたままかたをとれるという技術なんです。マネキンが登場するミステリーモノなんかでね、マネキンに殺される話なんですけどね「呪いのマネキン人形」っていうので、そのときにつくられたわけです。その技術を作って当時タカクラアユミというSM女優ですね、彼女を全部かたどって彼女をマネキン化する。最後ぱんと首が飛ぶんだけども。で、そういうことで実在の人間をマネキン化すると、最初は一般素人の人をマネキンにしようじゃないかと、町を歩いている子でちょっとマネキンっぽいこっているんです。まぁどういう人間がマネキンのモデルになるかはぱっと見たら分かるんですね、「すいませんお話があるんですけど、マネキンになってみませんか?」って言うと「なんのことですか?」とか中には「その話ちょっと面白そう」っていうこがいるんですね。それでモデルになって貰う子が何人かいまして来て貰ってちょっと笑ったみたいな顔してもらって顔からとります。若い子はハリがありますからあまりかわらないです。下をむいてとるわけですね、ただ俺らくらいになると皮膚が弛みますから、引力の法則です垂れ下がった状態でとるわけです。それを持ち上げて見るから異様なかんじになる…。それをマネキン化する。実際その時代は80年代の前半まで続きます。実際の人間をかたをとってマネキンにしたということです。
関本:ちなみにマネキンにできそうな人っていますかこの中に。
藤井:全部マネキンになるひと、なかにはいますファッションモデルとかに。人間にはそれぞれ個性があって、メイクアップっていうのはいわば欠点を利点にかえていくというので、ところがマネキンは完璧な美しさを作っていきますからねメイクアップは下手をすると見栄えが駄目になるです。全体のバランスがとても綺麗な人、それで個性的で魅力的な人。マネキン作家に聞いてみるとね、なかなか話してくれないんですけど、普段どこ見てんのって聞いてみると唇とか、って言うんですね、唇が綺麗だとかね、あと目がいいな、あごの線が良いなとかね、それを自分のイメージで合成していくんですね。よく日本人のマネキンってなんで西洋人の顔してるんですかって聞くんですけど、西洋人じゃないんですね、西洋人の顔だと日本人に受けない、日本人のマネキンの顔をしてるんですね。それはやっぱり伝統的な京都のイメージ人形文化の顔を作ってる、えらがはってるとかごつごつしているとかはなんか西洋風でだめなんですね。最近ではヨーロッパのブランドで向こうのスーパーモデルをメジャーで寸法はかるんです、目の大きさとか、それをそっくりコピーしてつくる。そしてそれだけじゃマネキンにならないですから保護して、さりげなく服を着ているような姿勢を作家は作る。やっぱり日本的なマネキンは日本の人形の流れ。日本人の顔これに全部つながります。時代が変わっても日本人の美的感覚ほとんどかわらないです。若い子のかわいいっていうのを見てみると、石ころも可愛いっていいますけど、可愛さに対するあこがれっているのはそういうのを全部反映している。
種田:ひとつ言いたいんですけど、化粧文化で、美容整形外科私のジャンルですけど、一番困るのはあの人の目こっちの人の鼻こっちの人の口これはもうめちゃくちゃなんです。外人っていうのは鼻の高さを気にしない。日本人はほとんどこのライン、鼻と…ここをむすんだときのライン、かならずひっかかるんですよ、むこうはひっかからないだからホリが深いんです。それでそっくり真似るとどうも日本人は駄目なんですよ。日本人には日本人向きの…っていうのもなんとなく納得できる顔立ちってのがあるんです。
藤井:私もそれはね。実際に気付いてないのか忘れているのか、もともと日本女性は自分たちの美しさの磨き方を知ってたんです、だから西洋文化がばーっとはいってきてわからなくなっちゃってきたんですね。まだ今洋服なんで洋服が似合う女性がでてきたんですよ、まだ諦めなくていい。
種田:さっき…(モデルの名前)がでたでしょ、今年確かスペインでBMI18以下の人がやめてくださいってなりましたね。…がいくつかって14、いくつなんですよ、だからもし…が生きていたらおそらく世界のモデル界からぽっとやられてますね。健康第一ですからね…。あとモナリザは左右非対称だから魅力がある。一緒じゃないですよ。黄金比だって1と1,6なんですね、日本ではどっちかというと1と1,4なんですね、だから外国人の真似するとバランス悪いわけです。日本人の美しさをちゃんと分かってほしいですね。
ミロのビーナスはまさしく1と1,6でしょ、日本人はそんなに足長くないですから日本人のバランスはだいたい1と1,4なんですよ。それを化粧しながらうまくやるけどもあんまりいじると帰ってつくりすぎちゃうんです。ちゃんと分かった上でお化粧するなりファッションするのが俗に言うセックスアピールが分かってくると思うんですけど。
関本:いわゆる黄金比は基本的に世界中民族にすべてにあてはまるって言ってますけど
種田:古代ギリシャのアリストテレス、ソクラテスのいた非常に発達した時代に考えられたものですけど、だから石で出来たオブジェとか建築とかそれをベースにつくられているから綺麗で美しい、それを現代をとりいれて建物の基礎になっていると言われてますけど。
どっちがいいかっていったらこのバランスになっているのっていったら例えば名刺とか、Aサイズの紙とか…。
関本:世界的にはAサイズなんですよね、日本ではBサイズの紙で。
種田:ビダルサスーンなんかの知ってます?世界ナンバーワン。あの人はまさしく1と1,6のにあわせてやってますから。普通の人は真似出来ない。モデルと普通の人はいっしょにはならない…。自分の顔の形をちゃんと勉強しないと、どんな形しているのかどんな体型になっているか知らないと。
藤井:今左右対称の形されましたね、綺麗な顔をマネキンでつくろうとしたらどうしても非対称になってしまう。どうしたら左右対称の顔にできるかなということで凄い苦労して糸で距離を測ってみたりするらしいですけどね、でも非対称になってしまう。かたやコンピューターグラフィクスで顔をつくっている作家さんは左右対称にしかできない。で、左右対称をつくるのは凄く得意なんですね、コンピューターデザインは。人間は非対称になることを悩んでいる、コンピューターグラフィックは対照になることを悩んでいる。これは面白いやということで91年に対談をやったんです、お互いに原因とはなんかと話し合ったんです。でも結局マニュアルつくっても非対称になるんですね…。大きさが右と左違うのはおかしいじゃないかと言われてしまうと。そもそも自分が綺麗だ良いなと思うモノを最終的に作ってもお客さんどうも違うんじゃないかと、そういうところに日本人は非常にこだわってしまうんですね。それはちょっと現在の西洋的にしかモノを見られなくなってるというかね、マスコミ西洋的な影響もあるんじゃないかと。日本人というのは根本的には美意識は量でははかれない、感覚的で測定するところもあるんですけど。
種田:ファッション雑誌であるんですけどご覧になって正面見るときは良いんですけど横向くとき、この方はいつも必ず左側向く、この方は右側向く、その方のどっちが綺麗かによってたいていそちらを見せるんですよ。ということは同じじゃない。どっちかがかならず良いと。人間誰でも非対称なんです。だから絵を描くときは自分の難しい方から書いていく。自分の利き腕はなおせるけどそうでない場合はなおせないからと教えますね。
藤井:対照の問題で、自分が鏡見ている顔とさっきのレンズで撮ってはじめて自分の顔を人の見ている顔をみるんです、そしたら私ってこんな顔をしてるんですか?って。以外と自分の顔と私が見ている鏡の顔と違う顔に見えてる。そしたら自分の見ている顔っていうのが結構良いもわかんない。逆にすると全然違うんです。
(質問)
Q、ディズニーランドの前にキューピーランドがあったというのは…
種田:ディズニーの映画やなんかが大ヒットしてキューピーを作った時は沢山仲間がいました。だからあの中にランドをつくったんですね。? ディズニーのもっと前に色んな事をローズ・オニールさんがやってたんですね。先駆者みたいなとこがありましたね。
Q、女性はいくつまでひな壇を飾らなければならないか
種田:いくつといわれるとね…昔の成人式、昔は13歳くらい1月15日くらいになると一人前になる。一人前になるとひな遊びはちょっとやめるということになるんですけど、でもひな壇を飾るのは年関係なくというのは江戸時代にあったんですけど今はどうなんですかね?最近結構阪神ファン人形とかね、私も持ってますがキティーちゃんのやつとか。でもいくつでも良いと思うんです僕は。人形を愛でたりお人形の着せ替えを子供や孫に作るっていうのは。山形県の素晴らしかったのは、本当は京都が人形の発祥なのをばーっと山形県にもってっちゃったんですよ。山形県に行くとひな壇に4代並んでもてなすんですよ。昔はそういう文化がちゃんとあったんですね。今はみんなしまいこんじゃってね。悲しい限りですね。
関本:基本的にぬいぐるみとかフィギュアとは違うとか、学生もいますけど布団とかベッドの上にまだぬいぐるみがぽんと置いてあるとか、そういうのってありますよね、いまだに。たとえばこれ私の嫁さんの友達なんですけどやっぱり娘が大学2回生で広島に一人暮らししてはって芸大生なんですけど誕生日におっきいぬいぐるみ買ってくれって電話かかってきたって、ほとんどお金のかからない子なんですって仕送り送ってもこんなにいらないって言って半分返してくるってくらい。真面目というか優秀な学生なんだけど、それでもめちゃくちゃ大きいぬいぐるみが欲しいと、今そんな大きいぬいぐるみがないみたいで、それでも頑張ってスヌーピーのおっきいぬいぐるみを買って送ったらしいんですね。そしたら電話が掛かってきて、「お母さんスヌーピーって白いけど本当はお腹が黒いんだよね、ありがとう」って言って電話切った。って言って、どういう意味で言ってるんだろうって。
種田:着せ替えの人形と違って観賞用っていうのでやっぱりちょっと違いますね。持ったときに抱いた感触というかどっかあるんですね。自分のイメージしてた映画なんかのキャラクターのやわらかいというか。
関本:僕はフィギュア好きですけどね。僕のストラップはウルトラマンですからね。
藤井:つい最近今日も出席して貰った−さん達と、――?研究会ってのをつくったんですね。もうすでに第一回やり終えて、第2回の研究会をやります。
打ち合わせやっててびっくりしたんですけど、仏像って言うのはだいたい衣っていうか薄い何かを身にまとってますね、写真で見て衝撃を受けたんですが、素っ裸の仏さんに着物を着せるわけなんです。その着物をきた人が年に1回着替える、それを置いとくのかなと思ったらそれを切り刻んでお守り袋の中に布をいれて信者に身につけて貰ってお守りになると。だから裸像なんです完全に、で、おっこれはマネキンじゃないかなと、つまり宗教的なマネキンじゃないかと。
是非興味があったらおこしいただけたらなと思います。
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